2010/11/02

インド旅行記 番外編

■番外編ストーリー:

1、メトロの車内で人間観察

・Kolkataの布(サリーやKurti)は鮮やかで、かつ大きな花柄のプリントが多い。他3都市ではカラフルではあるが一色で、あまり大きな花柄は見かけず、縁に飾りがあしらってある、シンプルなものが多かったように思う。



・電車には女性用車両と、女性用の席がある。年配者や身体の不自由な人、女性には席を優先的に譲りましょう、とのことだった。男女でたまに女性用席に座ることがあるが、他の女性がきたらすぐに席を譲っていた。女性用車両以外に乗った際(Delhi)に、何故女性車両があるか分かった。女性は基本的に外に出ないので乗車人数が少ない。しかし男性はすし詰め状態。その中で四方を男性に囲まれて、立っているのもやっと。そんなに密着することは日常でありえないことなので、インドの女性にとっては極めて落ち着かない、避けるべき状態なのだろうと思った。私は東京で慣れているからなんとも思っていなかったが、周りの男性は‘何故この女の子はここにいるんだ?!大丈夫か?!間違えたのか?!何があったんだ?!ちゃんと降りれるのか?!’というような目と、それらしい発言と、挙動だった。どぎまぎさせてしまったようだ…笑 周りの挙動を観察できたのは面白かった。



2、Kolkataの美しい夫婦

公園の周り、垣根に座る一組の男女。浮浪者なのだろうと思われるその二人、何も持たず、着の身着のまま生きている様子。

どこかで手に入れた参拝で使う供物用のマリーゴールドの首飾りとハイビスカス。連なっている首飾りを、男性は手にとって女性の頭に器用に、帽子のように、飾ってあげていた。ハイビスカスを両耳にかけてあげた。恥ずかしそうに女性は少し伏せ、照れながらまた男性とともに顔を上げて、二人は私に微笑みかけてくれた。

ほほえましさと、美しさを感じた。

お金も、物も、今日を生きる保証も何も無いけれど、ただ一心に相手を思い遣る気持ちが、その一瞬を永遠に美しい優しい光に変えた。言葉でも写真でも、決して表せない何かをその一瞬に感じた。この気持ちを、ずっと忘れたくない。いつかはこのイメージと感覚を忘れてしまうかもしれない。だけどいつか、着飾るものは何も無く、優く包み込むような光を、きっと自分も感じたい。



3、子供たちと犯罪

私は子供たちのやんちゃな幼い心を信じていると共に、彼らに魔が差さないよう気を配っていた。それはどこの都市でも同じ。不用意な隙は見せない。それは私を防衛することではなく、子供たちに魔が差さないようにすること、つまり彼らを守ることになるだからだ。自分を守ろうとすれば、それだけ相手への警戒は増える。私は、今回はたまたまラッキーだっただけかもしれない。けれど、私がすべきことはこれからも変わらずに、自分の防衛ではなく相手の防衛を一番に考えることだろう。相手の防衛、それは「もしも私が貧しくて食べるものに困っていたら、どうするだろう。目の前に無防備な日本の家電製品があったらどうするだろう」そのように考え、相手にとって何をすべきではないかを意識することだと思っている。

自分の作る隙は、相手への魔の手である。彼らを物取りとして疑うより先に、まず自分の行動が彼らにそうさせる状況を作っていはしないか、それを省みる必要がある。今文章にして初めて、それがイメージとして繋がったが、旅行中はそんなことは明確に思っているわけではなかった。ただ、彼らとどうやって、どこまで近い距離になることができるか、どうやって気持ちを遠ざけないようにするか、どうやってON(商売、生きる)ではなくOFF(子供らしさ、無邪気さ)に切り替え、継続させるか、それだけを考えていた。また、これとは別に「いつ何がなくなっても、命さえあれば何とかなる!何か無くなったらその時考えればいいや!何とかなる!」と、神経質にならないよう、「No Problem!」と、インド風に考えていたのも良かったのかもしれない。



4、No Problemの功罪

ゴミのポイ捨て、上下水道処理不行き届き、賄賂、何かが壊れていても基本的に使えればそれでいい、小さいことから大きいことまで良しとすることが出来ない問題は数え切れないほどある。

だけれど、こう考えることも出来る。

No problem! それは相手への優しさの言葉。

「大丈夫、何とかなるよ!さぁ、どうしようか?次に何をしようか?」

ある人が言っていた。インド人はみんな笑顔だと。

笑顔の理由は、こうだ。

We think the future, do not mind the past. What is important is to think what we do next.

過ぎ去ったことをくよくよ、ずっと考えていては先に進まない、未来、将来、これから次に何をするかが大切なんだ、と。

一人一人歩幅が違うように、国や文化によって国柄も地域柄も人柄も、各々も、たくさんの考え方とバックグラウンドを持っている。子供と大人は同じ歩幅で歩けない。子供は少しずつ成長する、だから、どうすれば成長を促せるのかを考える。決して子供の歩幅が小さい事を責めたりはしないし、大人で1分で出来ることが10分もかかっても、9分かかったことしかったりはしないだろう。

もしもそれがビジネスなら?時間との戦いだから、マネジメントできるように自分が変わればいいのではないだろうか。人に変わってほしいなら、その思いはイライラや責めることからは、まして適切には伝わらない。自分も相手も、納得できる方法を見つける、それが大切なのだろう。だから、No Problem! If there is a will, there is a way. きっと、何か道がある。だけど、それは今見つかるのではなく、10年先に見つけられる迷路の先の道なのかもしれない。だから、今ではなく、think your future.



5、宗教と生きる人々

8割ほどがヒンディー教だが、必ずしも彼らだけが過ごしているのが目に付くわけではない。イスラム、Shik、仏教、キリスト教など様々な宗教宗派が入り混じっている。文化も生活も、多種多様。「インド人」と一括りにしては、何を見ることが出来るのかわからない。性別、カースト、宗教、社会的地位、貧富、地域、職業、何をとっても奥が深い。

インドは‘スパイス’のような国だと思う。

一口に含む。見たことの無い、聞いたことのない、初めてのスパイスが入った料理。辛いのか、甘いのか、苦いのか、すっぱいのか、しょっぱいのか、エグみがあるのか、香りが強いのか、無味無臭なのか、表現が難しい何かなのか。口に含んだ人にだけわかるが、同じものでも一人一人その感じ方は違う。そして、多くの一様ではない表情を持っている。何度も何度も口にして、様々なレシピを参考にして、近く近くになるように。そんな、インド料理に使われる数多くのスパイスのような、そんなスパイス’mixの国じゃないだろうか。



6、私の「インド」

日本で聞いたインドはこうだった。

インド人は騙してくる、インド人は嘘つく、信用するな、物が盗まれる、身を引き締めろ。



インドで感じたインドはこうだった。

インド人は見かねて道案内をしてくれる、困っていたら助けてくれる、友情の印にchaiを淹れてくれる、何も買ってもいないけどお土産をくれる、無邪気な笑顔で溢れている。



百聞は一見にしかず。一期一会はインドに根付いている。



「Hi, My Friend! Are you Japanese?」

あなたならどちらに取りますか?

「日本人だ、お金があるやつがきた!」

「おぉ!お前面白いな!初対面だけど友達になっちゃおうぜ!」



旅の始め、客引きは全て無視するかキツくNoと言っていた。そしたら疲れてしまった。

数日後、声をかけられたら全て返答するようにした、笑顔で振り向いて。するとどうだろう、リキシャワーラーは付いてくるどころか、笑顔で道を説明してくれた。にいちゃんたちは客引きとしての話をしなくなって、代わりにChaiに誘われるようになった。子供たちは照れくさそうに、大いに喜んで、挨拶と笑顔が連鎖していった。子供たちを見ている親も笑顔になった。



だって、人間だもの。



だれだって、笑顔の嫌いな人はいないのだから。

邪険に扱われて、嬉しい人なんていないのだから。



大人の、OFFの瞬間を引き出すためには、簡単だった、笑顔が必要だった。

Moneyが easy come easy goならば、Smileは easy come easy stayではないだろうか。



笑い方を忘れたら、無理にでも顔を動かしてみる。

変な顔をしてみる。好きな人を笑顔にしようと、考えてみる。



笑い方を忘れた人がいたら、ただそばに寄り添ってあげる。

その人を必要だと伝えてみる。その人を好きになってみる。



いつか世界中の笑顔が連鎖して、笑い方を忘れてしまった人がいなくなるように。



いつか自分が、あのKolakataの美しい夫婦に見た優しい光が見えるように、まとえるように。





2010年11月3日

am1:00 Japan /pm21:30 India

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