【21st】
早朝5:30、外から祈りの声が聞こえてきた。コーランを読み上げている音だった。メインの通りを南に10~15分くらい歩いたところはムスリム居住区である。
朝、通り沿いにある観光客はめったに入らないだろう大衆食堂で食事をすることにした。
ジャガイモとグリーンピースのカレー、ご飯、甘~いオレンジ色の揚げたお菓子のPlate(45Rs)。隣に座った3姉妹とその家族(計10人程)と少しばかりお話しながら。
宿に戻り、チェックアウトし、荷物を預けて、南の方にあるガートへ向かう。スロープを登ったところに電子火葬場、ガンガー岸が薪の火葬場。電子火葬場あたりでヤギを触って、頭を掻いてあげたら、いつまでも付いてくる~~~~!!!5分くらいその場所でくるくるくるくる一緒に回って逃げていた。かわいいけど。
火葬場を見るなら、ボートがいい。と近くのおじさんに勧められた。実際、近くで見学しているとものすごい灰を被ることになる。喉がやられてもおかしくない。だが、私はボートでの見学はするつもりは元々無かった。観光客は灰を被らないで汚れることのない場所から…そんな高みの見物をしたくなかった。死者を弔う、悼む、死者の親族と共にただその同じ空間を共にしたかった。
火葬場には、女性はいない。それには宗教的な理由がある。妊娠や月経は不浄の期間とされることから、それら外部から一見しては分からないため女性は一切火葬に立ち会えない。だから極端に近くへは行かず、他の女性が通るような場所から眺めていた。一体火葬が中盤から終盤に近く、一体は薪が積み上げられていた。一体は薪の上に花々などと一緒に横たわっていた。黒く跡形も見えないチリとなった数十分前は火葬が行われていたであろう場所もあった。10代の子供たちが灰取りでかき集め、ガンガーに流していた。
最も、火葬が進んでいたその横には、薪を新たにくべ、また黒いその姿を棒で突付き、燃え易いようにする少年がいた。くべた薪がきっと頭であろう場所に当たって、きっと火が通った脳が、頭だと思われる場所が割れてぼろぼろとでてきた。脚だと思うそれらは、膝から下が既に無く、他の場所の色ではなく、少し白く見えていた。骨だろう。
人は、こうなるんだ。
炭になって、灰になって、塵になって
少年がそれを集め、聖なるガンガーへ。
たくさんの金銀色の織物、たくさんの花飾り
それらが火葬場にはたくさんあった。
最後は、天国では、来世では、すばらしい日々を送れるように、という想いがこめられているのだろうか。
相方は、まだじっと見ている。これ以上私はここにいられなくなり、先に階段を上がった。感じたことを忘れないように、ノートをとっていた。すると、いつの間にか子供たちが集まってきた。「Candy?」と言うと、喜んでいた。何人も集まってきた。しばらくして会い方が戻ってきたので、子供たちが集まり過ぎないうちに宿の方面に歩いていった。
途中、Mega Mart(Banarasでは衣料品スーパーだった)に寄り、朝晩冷えるようになっていたのでショールを買った。
昼食はAPSARA Restaurant/Yes we are less dirty.という場所でPaneer Kofta(70Rs Paneer:チーズ)、Butter Roti(5Rs)を食べた。とても良いおじさんだった。宿に戻り荷物を持ってMother Baby Schoolへ向かう。舞子さんから予めオートでだいたい130~150Rsと言われていた。が、その金額ではなかなかつかまらない。相乗りだと安いのは知っていたが、150で行くという人がいたから、相乗り体験するいい機会だと思って乗った。一緒に乗っていた人の一人と話していると、電話番号を聞かれた。国際電話になるが、まぁ別にかけてこないだろうと思ったのと、この男性、英語がほとんど話せないからそんなに電話することもないだろうと思ったので、一応教えてあげた。大学では農業を専攻していたらしい。
さてさて、オートでMother Baby Schoolの目の前まで行くように約束したのでそこまで行ってくれた。そしたら200Rsだと言うので、「いや、目の前まで行って150RsでOKだって言ったよね~!だから150だよ~。あ、飴あげる!笑」と返した。約束したもんね。
@ Mother Baby School
<村にいる子供たちは、日本人を見ると「Maiko---------!!!!!!!!!!!」と言ってくる。それだけ、舞子さんは必要とされ、愛されているのだろうと感じた。舞子さんの印象が、そのまま日本人に対する印象になっているだろう。とても穏やかな、温かな、明るい色の空気を感じた>
まず、Guest Houseと運営や団体に関する説明を一通り受け、外へお散歩に。出るとすぐに子供たちがいた。何枚か彼らが撮影して、家の中においで!と言われた。中にいたお父さんとおじいさんにstopのジェスチャーをされたので、目線を上げると、点滴らしきものをした女性。後で聞くと、数日前に赤ちゃんが生まれたばかりなのだという。この地域はムスリムが多いらしく、その家の男性もムスリムだった。ただ、女性はブルカを被っている人は見かけなかった。その後、マーケットに行こうと思い、歩いていたら、「1picture」と、家から出てきた女性に言われる。もちろんOK!そしてその人の全身の写真、上半身の写真、ヤギとも一緒に撮ってほしいとのことだったので、撮ってあげた。どうやら写真がほしいらしい。写真が出来たら私にくれないか?というジェスチャーとヒンディーだと思う。だから私も日本語で、後で送ってあげるからSchoolの人に頼んで渡してもらうようにしておく!という説明とジェスチャー。とっても嬉しそうだった。
先へ進むと子供たちがわらわら。大撮影大会が始まってしまった。お家の中、屋上、子供たちに連れられてはしごを上ったり降りたり。一人の20代の女性が私におまじないをしてくれた。目がキレイになるおまじない。炭と油を混ぜて練ったものらしいが、それを目の下まぶたの内側に塗る。そしてビンディをつける場所にもチョンとつけてもらった。物凄い顔になった…笑
花の首飾りもかけてくれて、写真を撮ってくれた。子供たちはカメラで撮影したがっていた。写真を、子供たちの目線で撮っていた。子供たちは自分で写真を撮ることは撮ってもらう以上に機会が少ない。伸び伸びとした、自由な、自然な写真がたくさん撮れていた。たくさんの写真を撮り、しかし体力的に疲れてきたので帰ろうと思っていたが、子供たちのパワーは有り余っている!とすると、一人のお母さんが「もう終わりにしなさい!」と一喝!笑 笑っていると「あなたたちも早く行きなさい!この子達にまた囲まれるわよ!」というような感じで一喝!笑 お母さんありがとう。だが今度は別の場所で写真撮影会。笑 撮影会に終わりは無い! すると、20代のお兄ちゃんと少年たちが来て、「一緒にサッカーしよう!」とのことで広場へ行くことに。
ぬかるんでいたので、つるつる滑ったりしながらサッカーをした。自己紹介大会開始!そしてなぜか7歳くらいの少年のほっぺにちゅーすることになった。その場は大盛り上がり!子供たちはかわいいね。しばらくして、もう帰るね~というと、だめだー!と、お兄ちゃんが逃げる私の腕を捕まえて放さないわ抱えてぐるぐる回るわ手を握ってるわ…面倒だから相方に「heeeeey, she is my girl friend!笑」といってもらって手を離してもらったが、すると「Kiss her!」って、lieなのだから無理なのだ!彼らにどこだかへ一緒に行こう!と誘われたが、日が落ちてきたこと、泥だらけになったということで、宿に戻って休むことに。
屋上に、Akiさん(三鷹で劇団員、マレーシア経由でインド出入り、買い物好き)、ふくちゃん(一人旅中、旅先で出会った方と結婚)、あやちゃん(大学4年生休学中、2月頃までインドと周辺国を回る)がいたので、旅のお話、schoolのお話をしました。Akiさんは1週間ほど、ふくちゃんは3日ほど、あやちゃんは1ヶ月ほど。夕飯の時間になり、オクラ丼とパコラをいただいた。夕飯を終えた頃から、寒さと胃痛、頭痛、咳が起き出した。寒さは、単純に冷え込んだからであり、胃痛はもしかすると日本食を精神的に受け付けていなかったのかもしれないことで起こった可能性がある。海外で日本食は食べたくないと思っていたので…笑 頭痛はクラクションとrough roadが原因なのは間違いない。喉は排ガス。相方にパーカーを貸してもらい、レギンスを履いて、Akiさんに胃腸薬を頂き、ふくちゃんに龍角散トローチを大量にいただいた。蚊に刺されてODOMOSを全身に塗るのに起きたが、それ以外はおかげでぐっすり寝ることができた。夜、スタッフの方々とお話が出来なかったのは残念だった。
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