2010/11/02

インド旅行記 3

【18th am】

Pahar Gandhi st.(メインバザール)のカフェがたくさん在る場所で朝食場所を探していると、舞子さんに遭遇。まさかまた逢うとは思わなかったため、びっくりした。その場は挨拶して別れた。

@Kosla Café

・Masala milk tea (chai) 10Rs

・Honey toast (brown bread 2pcs) 25



メインから少し外れた横道には、野菜市場があった。多くの旅人のいるメインバザールの一角なのだが、英語が一切話せないところをみると地元の人しかこないのだと思う。そこで大粒のマスカットのような実(Amura)があり、「sweet?」と聞くと「yes」と言って、一粒もらった。どうやって食べるのだろう?とそれっぽく訊いてみると、かじるジェスチャー。本当に甘いのかな~?と思いつつ、かじる。と、めちゃめちゃすっぱく、渋みが強いものだった。近くにいた英語が話せる地元のおじさんの説明によると、のどが渇いたときに潤すのによくかじるということだった。唾液腺が刺激されて確かにのどは潤った。

道端の商店で、(以降、店。日本的にイメージする店ではなく、カウンターが道に面してあり、シャッターでの開閉。規模は1~2畳くらいが多い)蚊除けクリームODOMOS(35Rs)、水1ℓ(10Rs)を購入。車内の昼食をいつどこで何を購入できるか分からなかったため、予めチャパティ/Rotiを2枚(1枚5Rs)購入。リンゴは1kg5~6個で60rs?と、そんな食べきれないため断念。

昼頃、Agra行きの列車に乗車3時間ほど。Sleepers Classという最も安いNAC車両に乗る。Chai売りと昼食売り(両方鉄道社員の制服を着ていた)がいたので、32RsのVeg. Thali(Dal:豆カレー、野菜カレー、ご飯、Roti、curd:ヨーグルト、水)を食べた。ゴミは…窓の外に投げ捨てる。それが普通なのだというし、実際道端でもゴミをそのように捨てているのだが、心苦しかった。ゴミ“誰か”が収集し、行く場所はどこ(eg.ゴミ箱)に捨ててもほぼ変わらない。もどかしすぎる。私はゴミをポイ捨てしなかった、と、自分を庇いたいという偽善のエゴから、せめてゴミ箱に捨てたいと思うのだが、ゴミ箱はほとんど無い。あったとしても、メインストリートにのみで、夜になれば道端にゴミ箱をひっくり返して、皆就寝するのだ。翌朝までには“誰か”が回収するから。

車内では食べ物を売る他に、お菓子売り、おしゃれ用のジップチャック付け替え行商、おもちゃ売りもいた。また肢体のどこかに障がいを持った人や、家族(父:Chai売り、母:歌?、4~5歳の息子:道化)などがコンパートメントの中で稼ぎをしていた。



<かわいそうだからコインを、という行為はしないということを決めてインドに来た。それはstreet children、障がい者、老人、どんな人に対しても同じ。同情からは自立ではなく依存が生まれ、自立を妨げる。私一人のその場の一瞬の行為で何が変わるわけでも、その人の何を変えられるわけでもないけれど、それが私の考えだから。だが、そのとき彼らを無視することは、心苦しさともどかしさを感じるばかりだった>



■印象に残った人々

・「娘の結婚持参金(dawry)ためにお金を下さい。洋服でも構いません(英語、ヒンディー語)」というカードを配る母親。

・推定40代の男性、右手の手首から先の骨が無く、ぐにゃっとしていた。手首の内側に縫った跡があった。



<dawryの問題は今も根深く残っている。結婚のために金品を女性側の家族が年収の何倍も払わなければならない。そのために莫大な借金を背負うこともしばしばだといわれる。資本主義の影響が大きく、貧富や教育の差には関係なく存在する。卒論に関係する内容であることから、とても興味深い場面に遭遇した。>

<肢体障がいは、意図的につくり出されることもしばしばあるという。ただ貧しいだけではお金はもらえない。まして男性では特にそうだろう。この男性もその一人だと思われる。他にも、ひじから下の腕が無く、ひじの部分からは縫った後と共に骨見えていた人もいた。思い返せば、女性の障がい者は施設以外では一人の聴覚障がい者を除き見なかった>



■小銭をもらえる人の順番(人々を見ていての推測)

子供>障がい者>大人



<子供はそのあどけなさからコインを集め易いように感じた。他の場所だが、しかし、生きる術を見つけようとし、生きるstreet childrenは、子供らしさ、その風貌と行動からあどけなさが失われている(環境によって奪われているというべきだろう)ように見えるからなのか、邪険に扱われているように見えた。生きる術を何かしら見つけることが出来なかった子供たちは、男女で別だと思うが、自ら、または親が障がいを“選ぶ”場合もあるのだろう。そうなってしまえば、プラスチックや紙、ビニール、服、その他を集めることも出来なくなるだろう。カーストと貧富の関係が必ずしも一致しないといわれる今、推測だが、自分のカーストのすべき仕事ではないとして資源集めや掃除を選ばない場合もあるのではないか、と思う。分からない…。ただ、生きるための選択として障がいを選ぶような環境が生まれている状況があるのは、何を変えることが出来るかわからないが、悔しい。>



■窓の外の景色

・スラム街(水が緑色、ごみの中にレンガor円形に固めた牛糞土壁の建物、ビニールか何かで覆ったキャンプにあるような簡易テント:三角ないしビニールハウス形)

・スラムには多くのヤギと幾ばくかの牛

・草っ原でヤギの飼育

・スラム街の向こうにカラフルな商業施設



<経済の発展があり、そこからトリクルダウンでボトムラインが上がっていく…。理論は分かるが、貧富の差は、天と地ほどの差がある。相方が「裕福な人たちは、貧しい人たちと、ごく一部の街中やメトロの駅周辺で、わずか一瞬すれ違うだけなんだろうな」と言っていた。が、それ以上に私はすれ違うこともないと思う。貧しい人は裕福な生活や人を様々な媒体を通して知ることが出来るが、裕福な人は貧しい人の生活を見ることはない。知らなくても生きることが出来る場所にいるから。NGO等が数多く存在するインドだが、いくら政府が政策を実行しても、なかなかボトムに届きにくいのは、インドがあまりに多様で複雑で数多くの問題や文化が絡み合って解けないからなのだろう>



【18th pm】

@Agra Kant

駅から安宿の多いTaj Mahal近くまで行こうと思うが、駅近くのオートリクシャー(人力車×バイク)やサイクルリクシャーの客引きがかなり多く、とりあえずTaj Mahal方面に歩くことに。10km弱あった道のり、6kmほど歩くとGandhi Gateなる門の先の広場で何か人が集まっていた。そばにいた少年たち曰くCommon Wealth Gameの一つだ、というが地域の交流会に見えた。さすがに長距離歩いたのは疲れ、オートリクシャーを捕まえ、チケットカウンター近くまで20Rsで連れて行ってもらった。

Shanti Loggeの新館に泊まった。ダブル一泊400Rs。それなりに部屋は広く、まぁ悪くは無いのだが、旧館の方がきれいだったし安かったので、もう少ししっかり見定めする必要があった。

夕方、チケットカウンターの場所と周辺を散歩。途中、お土産売りの子供たちが何人か来た。お土産は買わない予定だったが、ちょっと交流したかったので「Candy?(あめほしい?)」と聞いてみた。するとニヤけながら少年の顔に戻って頷いた。いくつか飴を出した。3人いたが5つくらい手に出して一個ね!とジェスチャー。が、リーダー格?一番気の強い?少年が全部とって、分配、というか取り合いを開始!笑 そして、道に座って物を売っていた他の少年に飴を一つ渡していた。お菓子は、子供に無邪気な瞬間を返してくれる。

日中~夕食までTaj Mahalの見えるShanti LoggeのRoof top restaurant に行き夕食。

@Shanti Logge

・Chai (pot) 40Rs

・Papad (crispy n salty stack) 10Rs

・Mutton masala 100Rs

・Roti 5Rs

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