2011/10/27

最近はじめてみたところ・・・

「私は、予定を確認して、大事なことからやっている。」
「私は日記もやっている」
「私は、朝食を”おいしい!”といって食べている」


これらみーんな画用紙に書いて壁や冷蔵庫、扉に張ってあるんです。

なぜか。

これは、アファーメーションという手法で、
物事を肯定的に、「私は○○です/している」という言葉を発したり紙にかいたりするんです。
それによって、気持ちを向上させたり、自分自身を肯定したりすることに
つながるといわれます。

たとえば、
「今日こそ掃除すべき」
という言葉から抱くイメージと、
「私は、今日掃除をしている」
という言葉のイメージ、違いますね?


物事を継続するための、ひとつの手法にもなります。

なので、私は冒頭に書いたような内容を書いています。
できなくたっていいんです。

ふとしたときに目にすることで、
頭に入る回数が増えて(単純接触)、
次第に行動に反映されていけばいいんです。

時に、言葉と行動が一致したら、
「そうそう、やってるんだよ、私!」
と、自分を肯定するんです。

とっても楽な気持ちで取り組める、でも行動につながるステップなのね。

2011/10/11

無題

くるしくて
くるしくて
くるしくて

もうなにもかもがいやになって

こわくて
こわくて
こわくて

すべてのいとなみがおっくうになってしまって

だけどうごかなければ
まえにすすめなくていいんだ
ただ たちんぼで
ちにあしをふんばりくっつけているだけで

よるはちいさなはこのくらいすみっこ
ひざをかかえてちぢまる

それだけを
くりかえし

くりかえし。


あるとき
まえにあしがうごいた

いっぽだけ
いっぽだけ

あしもとに
はなのめがさいていた

ま、いっか。

自信が無い時に

「大丈夫」

「平気だよ」

「君ならできる」

「問題ないから」

そんな言葉が怖くなる。

「だって、その裏付けになってる内容や理由、思いつかないもん。」

「何あ大丈夫なの?ねぇ?」

っていう心境。


怖くなる時は、

こんな風に冷静に考えられない。

でも、わからないくらいふとした時に、

「ま、いっか」

になってる。

明日かもしれない。

来週かもしれない。

来年かも、5年後かも、10年後かもしれない。

もしくはある人と話しているほんの一瞬かもしれない。

美味しいご飯を食べていたり、
走っていたり、
歌を歌っているごく一瞬かもしれない。

だけど、

「絶対に来ない」ことはない。

だけど、たまにしか来てくれない
「ま、いっか」

また何処かへ行ってしまうのがわかるけど
そう思うと不安だけど
来てくれないことはないんだよなぁ


もっと頻繁に訪ねて来てくれたらいいのに。

ね?

2011/10/07

無題

河口に水が流れる
河口から海がやってくる

流れる水に飛び跳ねる小さな蝶々
水に吸い付いた羽は空には戻らない

"あぁこうして水に沈むのだ"

そう自然の流れを思うとき
空に戻れない羽の動きを止めたのは
空高く水と戯れる一羽の鳥だった

「生きる」ことと「終える」ことと

それは点と点ではなく
背と腹とを共にする

一つの時のうえに並んでいる