2011/09/26

炭鉱跡地に行ってきた

昨日9月25日、知人から急に
「炭鉱に行かないか?」と誘われた。

車で1時間ほど走らせ、炭鉱の町として栄えたまちのひとつ、田川市についた。
田川市石炭・歴史博物館で、今、「山本作兵衛コレクション展」を行っている。

2011年5月25日に「山本作兵衛の炭鉱記録画」が、
日本初の世界記録遺産へ登録されました。

ちなみに、世界記録遺産、代表的なのは
フランス人権宣言、アンネの日記、ベートーベン第9交響曲の草稿
とのこと。


炭鉱の記録について、市長さんは、
「この記録画の公開を通じて、日本が近代産業国家へ発展していく過程で、筑豊・田川地域が重要な役割を果たしたことを、改めて1人でも多くの皆さんに知っていただきたい」
とのことだが、経済発展という言葉でくるめてしまうのは、
はたしてUNESCOの意図を汲んでいるのか?と、大いにもったいない発言だな、と感じてしまう。

炭坑節、ゴットン節。
「月が出た出た月が出た・・・」私でも知っている、
この歌を聴けば盆踊り、そんな歌。
実は炭坑節。

ただ、そんなきれいな歌じゃない。
「七つ八つからカンテラ下げて 坑内下がるも親の罰」
炭鉱での労働は過酷なもの。
画を見ただけでは想像できないようなものだと。

誰がそこへ行くか。

黒いダイヤと呼ばれた炭鉱を、採りにそこへ行く他ない
そんな人ばかりだったと。
「唐津ゲザイ人がスラ曳く姿 どんな絵描きも描きゃきらぬ」


その身であることは、前世のバチであると、子もそのバチを受け継いでしまったと。
「親の因果が子にまでむくい 長い坑道でスラを曳く」



’七つの子でも、カンテラを下げて坑内入る自由さがあった’
そんな言い回しを、山本作兵衛氏は使う。

ここに、何を思うか。

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