2010/11/20

Check the real.

Face the real.

■Journeyman Pictures
http://www.journeyman.tv/

■BBC
World Service-Documentaries
http://www.bbc.co.uk/worldservice/documentaries/

Film Network-Documentaries
http://www.bbc.co.uk/filmnetwork/films/

見つけたら随時更新。
オススメがある方はオススメポイントと併せて是非教えてください。

2010/11/10

あなたにとって「家族」って何ですか?

あなたにとって「家族」って何ですか?
何を思い浮かべますか?



雑誌、「週間金曜日」@syukan_kinyobiから、タイトルにあるアンケートが流れてきた。

血の繋がり、自分の歴史、親兄弟姉妹・・・

色々と考えてみたけれど、私はこう書いた。

「私にとって家族とは、帰る場所。
どんなに苦しくても、つらくても、
帰る場所があるという安心感をくれる。
安心できるのは、
私を無条件で理解しようとしてくれる人たちの集まる場所だから。」


血の繋がりを持った家族、彼らを思えば私の家庭はその通り。
自分は両親や祖父母、親戚にとても恵まれているのだと実感する。

改めて自分の文章を読み返し、そう思う。

一方、私にとって「家族」は血の繋がりだけを意味するものではない。
血の繋がりだけに限定したくない、といった期待が大きいと言った方が正しいかもしれない。

少なからず、多様な人との関わりや、様々な情報に触れてきたことで、
血の繋がりだけが、全てではないと感じる。

血が繋がっていなければ、「家族」ではないのか。
血が繋がっていれば、「家族」なのか。

親がいなければ、親類がいなければ、兄弟姉妹がいなければ、
「家族」はいないのか。

肉親はいないかもしれない。

でも、私は安心を感じれる場所は「家族」として認識してもいいのではないかと思う。
その安心が、無条件で自分を受け入れてくれる人によって紡ぎだされるなら、
それは、「家族」だと思う。
そう思いたい。

「週間金曜日」さんから頂いた上記コメントの載っている号と、書籍。
ありがとうございます。

議論を呼ぶテーマ

この記事を読み、何を感じ、また何を重視すべきだと感じますか?

~~~~~

「アフガンへ防衛医官ら派遣検討 日米首脳会談で表明へ」
 菅内閣はアフガニスタンへの人的支援の一環として、自衛隊員の医官や看護官10人規模を派遣する方向で検討に入った。北大西洋条約機構(NATO)によるアフガン国軍や警察の訓練で、教官不足が深刻化。NATOや米国から派遣を要請されているためだ。13日の日米首脳会談で菅直人首相がオバマ大統領に派遣検討を伝える見通しだ。
 防衛省によると、医官らはアフガンの国軍病院で医師育成を行うことが想定されている。派遣の根拠は防衛省設置法4条の「教育訓練及び研究を行うこと」とする方針。2008年以降、同じ規定に基づきアフリカのPKOセンターに陸上自衛官を講師として派遣している。
 アフガンの治安部隊の強化策を話し合うNATO首脳会議が19日に迫り、日本政府関係者は「NATOは人を出してほしいと言っている。比較的ハードルが低いのが医官の派遣だ」と説明している。
 ただ、アフガンでは、反政府武装勢力タリバーンの活動が活発で、国連施設への攻撃も続いている。こうした地域への派遣を設置法が想定しているかどうかについては有識者の間で疑問の声があり、政府内にも慎重論が残る。今回は趣旨が教育訓練で武器を携行しないため、安全性をどう確保するかも大きな課題だ。
 現地で活動する国際協力機構(JICA)やNGOへの影響も懸念されている。JICA関係者は医官の派遣について「反対だ。医官とはいえ、アフガニスタン国民には『日本が軍を派遣した』と伝わる」と指摘。アフガンで医療活動と水源確保のための用水路建設を行うNGO「ペシャワール会」の福元満治事務局長も「民生支援を徹底した方がいい。自衛隊派遣を理由に、武装勢力が我々をターゲットにするようなことになったら困る」と話している。(河口健太郎)


asahi.com
2010年11月10日22時4分 
~~~~~


NATOの要請だから人(医官)を派遣するのか。
人を派遣すること、それはつまり軍隊を派遣し、命の危険を負ってほしいということだろうと思う。
何故、「それは我が国の方針ではない」とし、日本だから可能な方法を堅持しようとしないのだろう。

抜本的な変化の時期に来ていると、感じることは無いのだろうか?

協調と迎合は違う。


~~~~~
追記
NATOから人の派遣という要請を受けての医官派遣、その場合、
集団的自衛権の行使という、違憲行為に抵触する可能性がある、とのこと。

2010/11/05

Check this out!1

クラスター弾被害、1万6千人 国際NGOが初報告


 【ジュネーブ共同】クラスター(集束)弾を全面禁止する条約の第1回締約国会議が9日からラオスで開かれるのを前に、国際非政府組織(NGO)「クラスター弾連合」は1日、2010年版の「クラスター弾モニター報告」を発表し、09年末時点でのクラスター弾による被害者は少なくとも30カ国・地域で累計1万6816人に上ると明らかにした。



 モニター報告は今年8月1日に条約が発効したのを機に初めてまとめられた。ただ、各国からの「過少申告」が目立ち、実際には被害者は最大8万5千人と推定されるという。09年にはラオスやレバノンなど10カ国・地域で新たに100人の被害者が出た。



 クラスター弾は1発の親爆弾が空中から多数の子爆弾をまき散らすため、クラスター弾連合は、被害拡大の防止に向け、残った不発弾の迅速な処理を求めている。

2010/11/01 19:40 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201011/CN2010110101000888.html
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Japan Campaign to Ban Lindminesより

2010年11月1日、『クラスター爆弾モニター2010』
http://www.jcbl-ngo.org/index.php?action=pages_view_main&active_action=journal_view_main_detail&post_id=307&comment_flag=1&block_id=24#_24

2010/11/03

メモ

インド旅行記、もはや書きなぐったノートをそのままワードに落とし、blogに載せた。
散文乱文過ぎる。
脂肪がたくさん付いてる。

また書き直そう。

何を感じ、何を思ったのか。
インドを通して私の何が変わったのか。

それだけをメモして。

2010/11/02

インド旅行記 番外編

■番外編ストーリー:

1、メトロの車内で人間観察

・Kolkataの布(サリーやKurti)は鮮やかで、かつ大きな花柄のプリントが多い。他3都市ではカラフルではあるが一色で、あまり大きな花柄は見かけず、縁に飾りがあしらってある、シンプルなものが多かったように思う。



・電車には女性用車両と、女性用の席がある。年配者や身体の不自由な人、女性には席を優先的に譲りましょう、とのことだった。男女でたまに女性用席に座ることがあるが、他の女性がきたらすぐに席を譲っていた。女性用車両以外に乗った際(Delhi)に、何故女性車両があるか分かった。女性は基本的に外に出ないので乗車人数が少ない。しかし男性はすし詰め状態。その中で四方を男性に囲まれて、立っているのもやっと。そんなに密着することは日常でありえないことなので、インドの女性にとっては極めて落ち着かない、避けるべき状態なのだろうと思った。私は東京で慣れているからなんとも思っていなかったが、周りの男性は‘何故この女の子はここにいるんだ?!大丈夫か?!間違えたのか?!何があったんだ?!ちゃんと降りれるのか?!’というような目と、それらしい発言と、挙動だった。どぎまぎさせてしまったようだ…笑 周りの挙動を観察できたのは面白かった。



2、Kolkataの美しい夫婦

公園の周り、垣根に座る一組の男女。浮浪者なのだろうと思われるその二人、何も持たず、着の身着のまま生きている様子。

どこかで手に入れた参拝で使う供物用のマリーゴールドの首飾りとハイビスカス。連なっている首飾りを、男性は手にとって女性の頭に器用に、帽子のように、飾ってあげていた。ハイビスカスを両耳にかけてあげた。恥ずかしそうに女性は少し伏せ、照れながらまた男性とともに顔を上げて、二人は私に微笑みかけてくれた。

ほほえましさと、美しさを感じた。

お金も、物も、今日を生きる保証も何も無いけれど、ただ一心に相手を思い遣る気持ちが、その一瞬を永遠に美しい優しい光に変えた。言葉でも写真でも、決して表せない何かをその一瞬に感じた。この気持ちを、ずっと忘れたくない。いつかはこのイメージと感覚を忘れてしまうかもしれない。だけどいつか、着飾るものは何も無く、優く包み込むような光を、きっと自分も感じたい。



3、子供たちと犯罪

私は子供たちのやんちゃな幼い心を信じていると共に、彼らに魔が差さないよう気を配っていた。それはどこの都市でも同じ。不用意な隙は見せない。それは私を防衛することではなく、子供たちに魔が差さないようにすること、つまり彼らを守ることになるだからだ。自分を守ろうとすれば、それだけ相手への警戒は増える。私は、今回はたまたまラッキーだっただけかもしれない。けれど、私がすべきことはこれからも変わらずに、自分の防衛ではなく相手の防衛を一番に考えることだろう。相手の防衛、それは「もしも私が貧しくて食べるものに困っていたら、どうするだろう。目の前に無防備な日本の家電製品があったらどうするだろう」そのように考え、相手にとって何をすべきではないかを意識することだと思っている。

自分の作る隙は、相手への魔の手である。彼らを物取りとして疑うより先に、まず自分の行動が彼らにそうさせる状況を作っていはしないか、それを省みる必要がある。今文章にして初めて、それがイメージとして繋がったが、旅行中はそんなことは明確に思っているわけではなかった。ただ、彼らとどうやって、どこまで近い距離になることができるか、どうやって気持ちを遠ざけないようにするか、どうやってON(商売、生きる)ではなくOFF(子供らしさ、無邪気さ)に切り替え、継続させるか、それだけを考えていた。また、これとは別に「いつ何がなくなっても、命さえあれば何とかなる!何か無くなったらその時考えればいいや!何とかなる!」と、神経質にならないよう、「No Problem!」と、インド風に考えていたのも良かったのかもしれない。



4、No Problemの功罪

ゴミのポイ捨て、上下水道処理不行き届き、賄賂、何かが壊れていても基本的に使えればそれでいい、小さいことから大きいことまで良しとすることが出来ない問題は数え切れないほどある。

だけれど、こう考えることも出来る。

No problem! それは相手への優しさの言葉。

「大丈夫、何とかなるよ!さぁ、どうしようか?次に何をしようか?」

ある人が言っていた。インド人はみんな笑顔だと。

笑顔の理由は、こうだ。

We think the future, do not mind the past. What is important is to think what we do next.

過ぎ去ったことをくよくよ、ずっと考えていては先に進まない、未来、将来、これから次に何をするかが大切なんだ、と。

一人一人歩幅が違うように、国や文化によって国柄も地域柄も人柄も、各々も、たくさんの考え方とバックグラウンドを持っている。子供と大人は同じ歩幅で歩けない。子供は少しずつ成長する、だから、どうすれば成長を促せるのかを考える。決して子供の歩幅が小さい事を責めたりはしないし、大人で1分で出来ることが10分もかかっても、9分かかったことしかったりはしないだろう。

もしもそれがビジネスなら?時間との戦いだから、マネジメントできるように自分が変わればいいのではないだろうか。人に変わってほしいなら、その思いはイライラや責めることからは、まして適切には伝わらない。自分も相手も、納得できる方法を見つける、それが大切なのだろう。だから、No Problem! If there is a will, there is a way. きっと、何か道がある。だけど、それは今見つかるのではなく、10年先に見つけられる迷路の先の道なのかもしれない。だから、今ではなく、think your future.



5、宗教と生きる人々

8割ほどがヒンディー教だが、必ずしも彼らだけが過ごしているのが目に付くわけではない。イスラム、Shik、仏教、キリスト教など様々な宗教宗派が入り混じっている。文化も生活も、多種多様。「インド人」と一括りにしては、何を見ることが出来るのかわからない。性別、カースト、宗教、社会的地位、貧富、地域、職業、何をとっても奥が深い。

インドは‘スパイス’のような国だと思う。

一口に含む。見たことの無い、聞いたことのない、初めてのスパイスが入った料理。辛いのか、甘いのか、苦いのか、すっぱいのか、しょっぱいのか、エグみがあるのか、香りが強いのか、無味無臭なのか、表現が難しい何かなのか。口に含んだ人にだけわかるが、同じものでも一人一人その感じ方は違う。そして、多くの一様ではない表情を持っている。何度も何度も口にして、様々なレシピを参考にして、近く近くになるように。そんな、インド料理に使われる数多くのスパイスのような、そんなスパイス’mixの国じゃないだろうか。



6、私の「インド」

日本で聞いたインドはこうだった。

インド人は騙してくる、インド人は嘘つく、信用するな、物が盗まれる、身を引き締めろ。



インドで感じたインドはこうだった。

インド人は見かねて道案内をしてくれる、困っていたら助けてくれる、友情の印にchaiを淹れてくれる、何も買ってもいないけどお土産をくれる、無邪気な笑顔で溢れている。



百聞は一見にしかず。一期一会はインドに根付いている。



「Hi, My Friend! Are you Japanese?」

あなたならどちらに取りますか?

「日本人だ、お金があるやつがきた!」

「おぉ!お前面白いな!初対面だけど友達になっちゃおうぜ!」



旅の始め、客引きは全て無視するかキツくNoと言っていた。そしたら疲れてしまった。

数日後、声をかけられたら全て返答するようにした、笑顔で振り向いて。するとどうだろう、リキシャワーラーは付いてくるどころか、笑顔で道を説明してくれた。にいちゃんたちは客引きとしての話をしなくなって、代わりにChaiに誘われるようになった。子供たちは照れくさそうに、大いに喜んで、挨拶と笑顔が連鎖していった。子供たちを見ている親も笑顔になった。



だって、人間だもの。



だれだって、笑顔の嫌いな人はいないのだから。

邪険に扱われて、嬉しい人なんていないのだから。



大人の、OFFの瞬間を引き出すためには、簡単だった、笑顔が必要だった。

Moneyが easy come easy goならば、Smileは easy come easy stayではないだろうか。



笑い方を忘れたら、無理にでも顔を動かしてみる。

変な顔をしてみる。好きな人を笑顔にしようと、考えてみる。



笑い方を忘れた人がいたら、ただそばに寄り添ってあげる。

その人を必要だと伝えてみる。その人を好きになってみる。



いつか世界中の笑顔が連鎖して、笑い方を忘れてしまった人がいなくなるように。



いつか自分が、あのKolakataの美しい夫婦に見た優しい光が見えるように、まとえるように。





2010年11月3日

am1:00 Japan /pm21:30 India

インド旅行記 14

【29th】


起床し、朝食を食べ、午前中はChandni Chowkへ行く。サリーを買うのであれば、ここ。物凄く多種多様の生地を扱っていた。ここのマーケットはさすがに女性が多く集まっている。結婚式用の生地も取り扱っていたので、価格はピンきり(14800Rsのものもあった!)。

Jama Masjit、Red Fort、Shik寺院を外から眺め、ある通りを入ると携帯がたくさん売っていた。飼う気など毛頭無かったが、iphoneがあったので指した。すると、「50!いや25だ!」100円??50円??笑 桁が省略されていると思われるが、壊れるのではないかと正直心配になる。電化製品やゲーム機器、海賊版ゲームやDVD(Bollywood、子供用~18禁まで何でもあった)。貴金属や宝石類を扱う店も多かった。ここで購入するものは特に無かったが、見ているだけで十分面白かった。Pahar Gandhiへ戻り、昼食をとり、お土産用、自分用の買い物をしばしばする。客引きのにいちゃんたちで、何度か会った人たちの店にも仕方が無いから行ってあげた。買い物しないよ!と言って、本当にしないのだから彼らは困ったものだろうが、中には、「今日で最後なの?!small presentを君に」といって、小物入れやネックレス、キーホルダー、ヘナのおじさんからも右手にアート。

一期一会を大事にする、そんな人たちに出会った。また彼らに会いたくなる。単なるナンパで声かけてきたりする人もいるけど(どこから来たの?名前は?どこ行くの?お店来る?こないの?ね、Chai行こう?)、なんだかんだ言ってチャラいけど良い人たち。Chaiに行ってはいないけど、いつか機会があったらこの人たちと一緒にChai行けたらいいな、と思う。Lov ya all, my funny frieds on Pahar Gandhi street!



空港へ向かう。駅でプリペイドオート(190Rs)チケットを購入し、乗り込む。オートの入れる場所ぎりぎりのところで下車し、無料シャトルバスに乗り込む。Phir milen-gay Delhi, phir milen-gay children, phir milen-gay 全てが入り混じった、汚くも美しい、生きる、India。

インド旅行記 13

【28th】


遅くに飲んでいたので、翌日朝は9時近くまで寝ていた。まず、地球の歩き方の電話番号は繋がらなかったので、改めてインターネットで調べた。なんと、time starにメガネがあった!しかしメガネケースは無いので郵送できないとのこと。ネットカフェのお兄さんの友達がコルカタから来るときに持ってきてくれる、とのことだった。本当に助かる。1~2ヶ月かかるとしても、新しいのを買うより十分安い・・・うまくいけばいいな!ダメだったらそのとき!No Problem♪

朝はリキシャワーラー、特にサイクル、が来るようなお店に行ってみた。揚げた魚のカレーがあるお店。

・Tengra FishのPlate(カレー2+ご飯) 40Rs



Pahar Gandhiを歩いていると、なんとMBSで会ったAkiさんに遭遇!

その日の夜19時過ぎにDelhiを出発するらしいので、18時に待ち合わせして夕食を一緒に食べることを約束した。



メトロで、Seelampurへ向かう。改札を出ると、一気にブルカを着た人たちが増えたように思えた。Zafrabadというエリア、そこが私の向かう場所。ただ、どこがその地域なのか、どうやって行くのかよく分からなかった。

ここでは英語は一切通じなかったので、とりあえず「Zafrabad!」とだけ言い続け、オートで近くのエリアに連れて行ってもらった(場所を間違えていたようで、本来は乗る必要なかった)。この一帯は粉塵や排ガスがとても多く、マスクがないと咳が止まらなくなる。ムスリム、ムスリマが本当に多い。ブルカを被り目だけを出した女性も数多く見かけた。建物は2階建が多く、レンガで出来ている。屋上が必ずあるが、造ろうとして造ったのか取り払ったのか分からないような、壁の高さは不揃いだった。自転車のタイヤ屋さんが多いように思った。

オートを降りてから、Kurti(ひざ上スリット入りワンピースとレギンス)を着ていた私はなんだか恥ずかしくなった。外国人というだけでも珍しく、ましてや体系がはっきりしている衣服を身に着けている。完全に浮いている・・・!!!がどうしようもないので気にしないことにした。

探している団体の建物を尋ねた。「Gender Resource center?」みんな分からないと答える。「Bable Uldoom Madrasaが200m程先にあるから、そこに行けば分かるのでは?」と警官の人に教えてもらった。しかしMadrasaでは英語が話せる人はいなかった。もしかしたら道路を挟んで反対側の方かもしれない。若干、そっちの方がより貧しそうな風に見えたからだ。向こうへ渡って、中へ入っていく。そこは雰囲気が明らかに「スラム街」だ。水が不衛生で、緑色をした水が水路を通っていた。ハエがやたら多い。このままではどこに行けばいいかわからない・・・そう思い、目の前から歩いてきた人に話しかける。‘きれいだけど化粧がやたらハッキリしていて濃いなぁ’と思ったら、声が若い男性の声だった。2人はMr. Lady(?)だったんだな~と。彼女たちが教えてくれた「3が見えたら右に曲がって」は結局3がどれかわからなかったが、確かに施設があったのは「区画3」という感じの場所だった。イスラム教徒が多いこともあり、牛肉屋も多く見受けられた。しばらく歩いて、少しだけ英語の分かるお医者さんにGender Resource Centerをヒンディーに書き直してもらって(本当は翻訳してほしかった)、人に訊きながら先に進んだ。何人かしばらくついてきて色々なところへ連れて行ってくれた。途中で住所を持っていることを思い出し、見せると、ライムグリーンのサリーをまとったお母さんが連れて行ってくれた。ずっと付いてきてくれて、施設まで連れてきてくれた。そのお礼に少しだけガイド代を渡したかった。「Child? Chocolate, chocolate」と言って50Rsを渡そうと引き止めたが、再三断られてしまった。お母さんはなんて優しい人なんだ、と思ったので嬉しくなってハグして別れを告げた。

GRCは女性のエンパワーメントを目的とした事業を行い、政府からの助成金を得ている(そういった制度が存在する。前述のTrustも確かそうだったはずだ)。3つの事業、という制限を受けているということもあり、ここで行っていたのは以下の三つである。



■事業/コース

・識字教室 ヒンディーと英語の読み書き、計算

・手工芸技術 手工芸品作成は賃金が低いという 6ヶ月以上受講ライセンス発行

・美容技術 ヘア、メイク、ヘナなど 6ヶ月以上受講ライセンス発行



■傾向

・識字 未就学者が大半だが、金銭的理由で学校を退学した者もいる 12~40歳 ~15人

・手工芸技術 仕立て料(100~200Rs)節約や友人へ教えることでの収入(50~60Rs)

・美容技術 サロンへ行って仕事をすることができる 最も受講者が多い 10~15人



■受講まで

情報の少なさや貧しさから封建的、伝統的傾向が強いため、女性は家で家事と子育てだけやっていればいいと考える男性が多く、またその意識が強い。受講を希望する女性が現れた場合、受講に至るまでに男性(父、夫)の説得が必要になる。簡単ではなく、十分な説得には時間を要すという。

女性が経済的に力を得ることで、彼女たちの自信にも家計への貢献も可能になる。



<何人もの女性が受講し、家計の足しにできるような経済活動を行うことができるようになっていく。女性に対する教育の重要性は様々な文献で言われているように子供や家族への影響力があるため波及効果が高いとされる。ただ、効果が目に見えるのは、長期で経過を図ったときでしいかない。躍進的ではないからこそ、急激な変化が訪れるわけではないからこそ、ゆっくり、確実に定着していくのかもしれない>



施設の近くには、多くのサイクル修理やさんが連なっていた。経済的に、サイクルリキシャー、自転車が多く走る(職業としても経済面でも)この一帯では本当に重要な役割を担っているようだ。子供たちがサイクルリキシャーごっこ(と勝手に名づけた)をしていた。一人がリキシャーをこいで、二人の少年が席に乗っていた。笑顔が弾けていた。外国人相手に英語で交渉できる、お金の勘定できる、しっかりした大人になるんだよ!頑張れ将来の大黒柱!



メインの通りに抜けるが、どこが駅だか分からず、地図を広げて現在地を警官に聞いてみた。そばによってきたお英語を勉強したから使いたくてたまらない、といった小柄なおじさんも加わって、「あっちが駅だよ!真っ直ぐ行くとWelcome Metroがある」と。お礼を言って歩き出すと、しばらくしておじさんが「私も行くから一緒に行こう!」と。一緒に行けるのは助かる!と思い、おじさんと他愛の無い話をして駅へ。極めて混雑している交差点(車道)を人と車とを縫って歩かなければならなかった。おじさんがいなかったらどうなっていたことか…本当に感謝!

駅へ付けば、もう分かるのだが、おじさんは「チケットはここで買うんだ。どこまでだい?そうかNew Delhiにいくんだね。すると…15Rsだ。いいかい?」

プラットフォームで一緒に電車を待とう…と思ったら「Lady’s compartmentはこっちだよ!さぁ、こっちこっち!」と、連れて行ってくれた。そして去っていく。と思ったらすぐに戻ってきて、「○○駅で乗り換えるんだ。そこで乗り換えてNew Delhi駅だよ!大丈夫?分かった?」と、乗り換えの駅を路線図でわざわざ調べて来てくれたのだ。

このおじさんの心からの優しさに、本当に感動した。なんと自然体でジェントルマンなのだろう。このエリアでは、本当にたくさんの優しさを頂いた。嬉しい気持ちで一杯になった。



New Delhiに戻り、ヘナに挑戦しようと思った。ブラウンカラーでやってもらった。おっちゃん(30歳前後?)は腕がよさそうで、人もよさそうだし、とても丁寧にペイントをしてくれる。仲良くなったので、日本人向けに価格表とコメントを書いてあげた。ブログや友人に紹介すると約束して、写真を撮ってあげた。

名前はサルバンさん、Y字になっている(夜は牛が集まる広場の横)中州の赤い何かのところで運営している。5年間ヘナアートをしているという。

■Menu <色(色持ち期間)と長さによる価格 / 長さ:手甲―腕の中間―肘>

・オレンジ(2~3日):25-50-75Rs

・レッド(1週間):50-100-150Rs

・ブラウン(2~3週間):75-150-225Rs

・ブラック(1ヶ月):100-200-300Rs

※彼の言い値である。ただ、腕は確かなので、無駄に太い線を描いたり、雑にしたりは一切しない。道を歩いている客引きのにいちゃんたちや、他の外国人に「そのヘナ、すごくステキだね。」と言われるし、実際他の人のヘナを見せてもらったけれど、確かにサルバンさんは腕がいいようだ。

彼自身のデザインもあるので、デザイン料を払ってもいいと思える場合は是非いくらか+αしてほしい。

日本人は特に値切る文化がごく一部にしかないため、定価が目に見えないと不安になるだろう。また、英語が話せない人も少なくなく、日本語のメニューがあれば基準が分かるため、安心感を幾ばくか抱いてもらえるのではないか?と思う。サルバンさんにとって、私のメモが役立っているといいな。



宿に戻る。18時、Akiさんが来て、もう一人Takiさんと一緒にMadan Café Roof Top Restaurantへ。お腹はすいていなかったのでみんなケーキやChaiなど軽食で終わった。1時間弱話をして、Akiさんは空港へ向かった。ネパールにしばらく滞在し、日本へ帰国する。タキさんは26歳で、2週間ほどインドに滞在、ヨーロッパの方に行くのだという。その後‘ラブリー:Rabri ’という、スペルがわからないがよく売っている(寝台列車でも「フルーティー,ラッシー,ラブリー」と売りに来る)、ミルクっぽい、チーズのような食感の、とろっとした、甘~いお菓子を食べに行った(18時前にも食べたが、食べさせたかったので連れて行った)。NDL駅の通りに近いPahar Gandhiの入り口、18Rsで食べられる。Rabriも漏れず、インドのお菓子はどれも砂糖の過剰摂取になるような甘さだが、他の戸は違いミルキーな味で、好き。人によると、食感は、雪見大福の皮…らしい。



水を買うためにふらふら、買い物できるかな~とふらふら、その辺にいるにいちゃんたちと会話を楽しんだ。そしてY字の、牛たちがいるところで子供たちがコマをしていた。それを写真に撮り始めると、子供たちはテンションが上がって「撮って撮って!」と。いつの間にか少年たちが大量に集まってきて、20人くらいになっていた。良く分からないけどもみくちゃにされながらも、元気一杯でやんちゃな少年たちの最高の笑顔がカメラにたくさん残っている。

途中、ジェスチャーで通りすがりのどこかの店のおじさんが「この子達にカメラ盗られるぞ」言った。私はこう言った「No Problem!」とね。無くなったらそのときはその時。壊れたらそのときはその時。いつか壊れるし、無くなるし、でも、今手元に何もなくならず全て持っている。一つとして知らぬ間に失くしたものは無い。私の不注意で放置してきたものはいくつかあるが…笑

インド旅行記 12

【27th】


10時からDelhiにあるStreet Childrenを支援するSaalam Baalak Trust という団体が、自立支援の一環で行うCity Walkに参加することになっていた。

@Madan CaféでBreak Fast set(35Rs)を食べ、connort place(CP)近くのRail way ticket reservation center(?)に集合した。

道に迷って15分ほど遅刻してしまった。

ガイドさんの名前はShahadatt(Mr.B、Bollywood のBだという)、22歳。

6歳の時に父と出稼ぎにDelhiに来て、残してきた弟たち(姉妹4人、兄弟4人)に会いたいと、New Delhi駅に向かうが、迷子になってしまった。声をかけられて雇われて物を売るがタダ働きだったため逃げ、次に声をかけてきたのはムスリムのPick Pocket(スリ)。その方法を彼が一生懸命に教えてくれたが、一度も成功することは無かったという。その後、Trustの職員からシェルターに来ないかと言われ、一度は断るが、後にテレビがあるということでテレビが見たいからシェルターに行くことにしたという。

彼はまず、子供たちがなぜStreet Childrenとなってしまうのか、彼らは日常何をしているのか、食事や寝る場所はどうしているのか、などを話してくれた。



■Street Childrenになる理由

1、アルコール依存症の父親が酒のために子供を売る

2、Dawryの資金を貯めることが出来ないために捨てられたか売られる

3、大都市に出ればBollywood starになれると思い、家を出る



■稼ぎ方

レストラン、Chai売り、スリなど

大人に声をかけられ、寝る場所と食事を与えられるがタダ働きのことがしばしば



■子供たちが稼いだお金の使う先

・Drug ‘white out’文房具であり、安いため最も多くの子供たちが使っているという

・Entertainment(movie, game center)



■食べ物と寝る場所

・Shik templeは誰にでも無料で食事を提供している

・路上に落ちているものを拾う(FORTUNATELY, there are lots of food on streetと言っていた)

・路上で寝る そのため持っていたお金は寝ている間になくなることも多い



■シェルター及び学校

シェルターに来る子は多いが、入れ替わり立ち代りで長期に及ぶことは無いという。6ヶ月程度で入れ替わるということが多いといい、理由はthey love freedom on street、そのために戻ってしまうのだという。

勉強は二箇所で行われていた。一つがpahar gandhiから地少し路地に入った静かなところにある4階建てほどの建物の3階。施設の門番/警備員がいるため、開けてもらってはいる。ここは男児専用のため女の子はいなかった。女児用シェルターは国政空港の近くにあるという。ここではその時間に英語を教えていた。6~17歳の子供たちが多く、18歳になったら自立のためにこのシェルターからは出て行くのだという。このシェルターを卒業し、カメラマンやダンサーなどになり、活躍する人たちの写真が掲載されていた。モデルケースが明確にあるということは、子供たちにとって明るい光となっていることは間違いない。

もう一つはNDL駅のすぐ横にある事務局のある建物。子供たちは少数だった。ここには併せてMedical clinicや体重計があった。理由はナイフを使うことも含め、ケンカがしばしば起こるから、ということだった。

NDL駅のロビーで、Mr.Bがあるモニュメントについて説明してくれた。左側の壁に、たくさんのChai売りのセット(ヤカンやカップなど)がかかった自転車のモニュメントがある。

Theme:‘CHAI GARAM’(=Hot Chai)

Means:‘Children are easy to sell chai’

Explane:何千何万人と利用するNDSでは、1日毎数百人の子供たちが行方不明になっている。子供たちはChaiを売るのに適しているから、いつ自分の子供がいなくなるかわからない。わが子がChaiを売るために連れて行かれないよう、子供の手を離さないで、しっかり見ているように。そういう戒めのモニュメント。(無数のヤカン=無数の子供たち)



このStreet Walkでは、10時集合、30分説明、1h~1.5hPahar Gandhi周辺をガイドによる説明で散策する。ただ道を歩くのみでは過ぎ去ってしまう、なんとなく目に入るだけの景色や物、人々の働き方など、気がつかなかった生活、文化を知ることが出来る。例えばたまに様々な宗教の神様や教祖がタイルに描かれて壁に埋め込まれている、それは公衆トイレの設置と併せて、ここで立ちションしないように、ということだった。神様らがいれば、ここをキレイに使用するに違いないという思惑で設置されているなど。

参加するにはTrustのサイトで事前に参加表明のフォームに連絡する。参加費は一人200Rs、運営資金としてWalkの終了後に事務局で会計係に支払う。Lonely PlanetにはこのTrustが載っているらしいが、地球の歩き方には掲載が無い。Walkは完全に英語である。日本語を話せるスタッフはいない。ただ、地球の歩き方を読む、英語を話せる人は多くいるはずだから、その人たちに向けてこのWalkの掲載を依頼することをスタッフの人たちに約束した。



<可能だろうか、私はここでスタッフとして1月から3ヶ月ほど働けないだろうか。入国不可の期間(11~12月)は遠隔での作業も含め。英語が話せれば何とかなる。スタッフは基本的に英語、ヒンディーを使って教えるということは特になさそうだが、ヒンディーを覚えるいい機会にもなるだろう。この旅行記を書いていて、ふと思った。本当に可能なら、資金を何とかして集めて、私は3ヶ月行きたい。卒業式は、出られなくても良いや笑>



スタッフの方にDowryの話を幾ばくか伺うと、Center of Women studiesという場所が様々な貯蔵書籍を揃えて郊外(空港方面)にあるという。時間を作れず、そこには行かなかったが是非言って話を聞きたかった。



昼食は書籍販売をしているPahar Gandhiのお店

@Grand Sindhi restaurant

・Chilly Garlic Chowmin(焼きそばのようなもの)50Rs



相方は体調が優れず、宿で休憩。18時にCPのBブロックのマックで待ち合わせした。

散策がてらCPまで歩く。CPはマッサージやヨガをやらないか、というような客引きが面倒だったが、少し外れたところにあるお菓子屋さんで3種類(20Rs?)くっついてきたおちゃんにオススメしてもらって食べた。Milk Cakeはまぁいけるかな。やっぱりすごく甘いけれど。黄色いロールは塩味で、甘すぎるお菓子の箸休めというか休憩に丁度良い感じだった。

その後、本屋さんに行って薄い料理本(95Rs)を購入した。CPの内円を歩いて、お散歩することにした。すると突然すれ違った人に「Pahar Gandhiであったことあるよ!」とCPに買い物に来た格好ではないおじさんに声をかけられた。色々な情報を聞いてみたが、全く知らない人。彼も私の名前を知らない。私はあった人は全員名前を聞いているし、伝えているのだが、彼のことは全くもって思い出せない。一切接触が無い人のようだった。しかし、友達なんだからChai行こう!としつこい。結局その人はそばにいたtaxiのドライバーにコーラを買いに行かせ、おごってくれた。怪しいこの人からコーラをもらうのはとても怖かった。CPでもし私が倒れたらただ事じゃなく他の人たちが助けに来てくれるだろうなぁ、と心配しながら飲んだが、結局何も入っていなかったようで安心した。明日の予定を聞いてきて、「興味があれば美味しいケバブのレストランがあるから行かない?その後Lotus Templeに案内してあげるよ」と。新手のナンパ以外の何ものではなかったが、気持ち悪かった。彼はいったい何者なのだろうか・・・自分の職業を明確に話さないから・・・(あの辺の、まぁ、アイスとか売ってるよ・・・。 ※私はPahar Gandhiでアイス買ってません)



この人が気持ち悪くてもう会いたくなかったので、CPの中心にある、持ち物チェックなどが必要な公園に入った。Youthによるパフォーマンスイベントの直前期間だったようだ。

公園の芝生はきれいだった。歩き疲れたこともあって、芝生に座っていた。大学生が多いように見える。たぶんメトロでDelhi Uni.と直結しているから遊びに来るのだろう。30分くらい、ノートにメモをとったり「ここではキャッチも変なナンパもないな~」とか思いながらボーとしていたら、イケメンに話しかけられた。(!)

彼はImran,と言い、友人はSammerという。二人とも大学生で、22歳。少し話しをして、Chai行こう!ってことになる。Sammerは帰ってしまった。が、他の友人が現れた。さっき遠くの方に「あーいう人はもてるんだろうな~インド人ぽく無いな~モデルみたいでイケメンだな~」とか思ってた人だった。彼はLuckyと名乗った(本名はWangnoo)。

Imranはシンガポール大学で2年間ビジネスを専攻し、今年帰国したばかりだという。将来はNGOでまず働き、そのあとビジネスをやりたいらしい。Wangnooは10年間イギリスで生活していて、彼も最近帰国したばかりという。そのため、インドの水を飲むとお腹を壊すから飲めない、とImranがよく行くChai屋さんで話していた。二人は幼馴染だと言った。この後何をするのか、家族にお土産を買うのか、趣味(二人はクリケット)は何か、など話して、お茶を買うことを伝えたらWangnooがいつも家族に買っているという有名なお店に連れて行ってくれた(日本人がよく利用するのでお店の人は日本語が流暢に話せる)。質的にも価格的にも高いお店なので、1種類(Masala tea)を200g 675Rsのみ購入して終わった。本当はもっともっと安いMasala teaを大量に購入する予定だったが、予定外の出費に焦った。

実は、待ち合わせの時間は17:50だったが、CPからオートで出発したのは17:40だった。15分で戻れる!とのことだったが渋滞してしまい、結局18:20、CPを一周するほど待たせてしまい、心配をかけてしまった。

その後、彼らと夜少し飲みに行こうと約束し、別れた。お金が足りなくなったことと、Ehsonに電話するためにHISに向かった。そこで電話をお借りして、またHISと同じブロックにある換金所は20時まで営業し、かつ1万円=5300Rsだということでそこへ向かって換金。

Ehsonが友人(Irsh)と現れ、どこに行くとも決まらず歩き出し、結局Pahar Gandhiのレストランで食べた。「明日の夜かランチにうちに来ないか?」と誘われたが、相方が断固拒否していたので断念。



夜、Imranと飲みに出かけた。来ないと思っていた(Lucky)ようだったので、Imranはとても喜んでいた。話した内容はあまり覚えていないが、とても良い人だった。イケメンだし。出身地はDharamsalaということだった。Skypeやfacebookでも連絡を取ろう、と約束し、別れる。

インド旅行記 11

【26th】


Amurutをナイフで切り、食べてみる。甘みは僅かに感じる程度で、中心の小さな種はとても硬い。宿の人たちとシェアしながら、どんな果物なのか聞いてみると、とてもポピュラーで良く食べられている、カルシウムとビタミンを豊富に含み、インド特有の果物だということであった。青っぽい風味が鼻に抜ける。

@Kalsa

・Samosa 5Rs×2つ

・Chai 7Rs

チェックアウトし、荷物を預け、セントポール大聖堂へ向かう。公園に沿って歩き、30~40分ほど歩き、イギリス統治時代を大いに感じさせる大きな大聖堂が見えてきた。中に入って見学してみる。

[Metropolitan of India]というプレートがあった。1835年の設立以来、インド人の名前がそこに表記されるのは1950年になって以降だった。

昨日に見たジャイナ教寺院は確かに豪華ではあったが、やはりキリスト教の方が人も金も物も権威も、桁が違うのではないかと感じる。

Ecsplanad Streetで空港行きの市バスをターミナルがあるかどうかを確認し、お菓子屋が併設されている南インド料理を出す店に入った。

@Indra Mahal

・Cheese Masala Dosa 40Rs

・赤い甘い(砂糖味)のゼラチンの塊のお菓子 5Rs

・マメサモサ?(豆の入ったケチャップのような味のするサモサ) 5Rs



Mega StoreでアルミのChaiカップ(38Rs)を購入し、宿に戻る。

荷物を持って、バスに乗り込み、約1時間で空港周辺に到着する。隣に座ったおじさんにまたまた電話番号を聞かれ、降りていった。空港まで、僅か7Rsだった。安いなぁ。



<コルカタは“インドらしさ”は感じられず、一方イギリス統治時代の建物が数多く残っていることから街全体が洗練されているように見える。しかしその一方でバングラデシュから流れてきた難民たちが多いということもあってなのか、浮浪者が極めて目立つ。また、彼らは低いカーストの人たち(職業からの判断)に抱いてきた雰囲気ともまた違って、身体や衣類を洗濯できていない様子だった。町中には公共の水場や、井戸が多く存在する。そこを使用しているのはそのエリアの決まった人たちで、彼ら浮浪者は誰一人として使用する姿を見かけなかった。後に調べてみると、やはり同じカースト同士の使用が原則のようだった。自分たちより低いカーストの人が同じ水源を使用することは無いのだそうだ。男性の浮浪者のみならず、女性子供も多く見られた。最も酷な扱いを受けている、その現状から如何様にも抜け出すことが出来ないような、そんな雰囲気を持っていた。彼らに対して、今もこれからも、姿が見えてこず、もどかしさや何を感じることもなく、もはや混乱以外の何も感じられなかった>



空港近くで降り、これから空港に行くという人に出会った。IBMでソフトウェア開発をしているという方だった。海外経験もあるということで、シンガポールは何度か訪れていると話していた。彼も国内線に行き、人を待つというので、とても助かった。入り口で別れを告げてチェックインした。



陸路約30時間かかった道のりも、たった3時間でDelhiに戻ってきた。(機内食)市内までオート100~130Rsでいけるはずが、250~300Rsとオートの人たちが強い。現地の人たちもかなり困っていた様子で、同じ方面に行く男性とシェアすることになった。彼はKashmir出身のEhsonさん、推定30代前半でSE。Delhiを経由し数日後にドイツへ行くのだという。ユニークで気さくな方だった。仲良くなったので、翌日の夜に夕食を一緒に食べようということになった。連絡先を交換して別れた。

Pahar gandhiに戻ってきたのは夜20時頃。とりあえず荷物をネットカフェに預け、5~6箇所見て回った。朝晩冷え込むようになってきたので(15℃前後)、ホットシャワーとそこそこの清潔さを軸に見て回った。Star Paradise/Palaceの客引きが、声をかけてきた。ダブルでホットシャワーつき、400Rsだというので見に行くと、400Rsの部屋(Paradice)は満室とフロントに言われる。もう一種類の方があるからと行くと、500Rsの部屋。それならいらないと言うと、475になった。が、「彼は400と言った。無いなら他に行く」と言って帰ろうとしたら、400で3泊OKになった。宿で値切り出来るとは思っても見なかったが、予期せぬhappy。とまったのは107号室で、小奇麗、ドレッサーとクローゼットがある。ホットシャワーも使用可能。

ところが、荷物を持ってきてみると、小~中くらいのゴキブリたちがたくさん出てきた…

「ぎゃーーーーーーー!!!!!!!ごきぶりーーーーーーーーーー!!!!!」

フロントに「何とかして!!!!!!何か無いの?!!!!」と訊くと、「いいのがあるよ!」と言って殺虫液をまいてくれた。「10分もすれば大丈夫だよ~!」



確かにその晩はもうでてこなかった。明日はまた明日で頼むとしよう。

そして、メガネをコルカタのタイムスターに忘れてきたことに気がつく。

そこそこキレイな、べたべたではない毛布があったのは助かった。メガネは、明日電話してみようと思い、その日は就寝した。。