2010/11/02

インド旅行記 8

【23rd】


翌朝、朝食はカロリーメイトと卵サンド(15Rsフレンチトーストのような見かけ)とマンゴージュース。

咳き込んでいたら上の方から少年が、ガムをくれた。しばらくしてお菓子売りが来て、私はチョコを買って食べた。すると少年が今度はチョコレートを一欠け私にくれた。

すぐ横のコンパートメントには何家族かで来ていグループがいた。娘さんたち4人くらい(15~6歳、22歳)と挨拶を交わし、写真を撮った。おじさんたちと政治や経済、インドの歴史や観光の話、日本の政治や経済の話などを色々した。その息子たちが、チョコをくれた少年と、その友達だった。コマで遊んでいたの見せてくれた。二人ともしっかり英語を勉強していたのでたくさんのインドの歴史的な人物、Kolkataのお勧めの場所や食べ物などを説明してくれた。かわいい!!!!名前はSoham Basu君(チョコの少年、年上)とTamoghno Bhatiacharya君(早口)。

この列車のチケットがなかなか取れなかったことをおじさんたちに話したら、10月24日はベンガル暦の新年ということを言われた(後で調べたら4月14日だった)。ただ、その前後にも祭りがだいぶ重なっていることもあって帰省ラッシュのようなものと重なっていたらしい。因みにベンガル語で、難しい(ムスキール)を=Shomossha(ソモッシャ)というと教えてもらった。「何かあったらいつでも連絡頂戴!」とおじさんたちのメールアドレスと電話番号を教えてもらい、合計6時間程度の遅れで到着した。素敵な人たちとの出会いがたくさんあり、時間があっという間に過ぎていった。インドで列車が遅れないなんて!と思っていたので、今回遅れが生じてわくわくした気持ちになった。



Kolkataについて、サダルストリート(Sudder Street)へプリペイドタクシーを使用していく。65Rsなのだが・・・あまりSudder Streetを知っている人がいなかった。なぜだ?!多くのバックパッカーが利用しているというような噂を聞いたのだが・・・彼らはバスか鉄道で移動しているのかもしれない。

運転手さんは迷いながら、たくさんの人に道を聞きながら何とか辿りついた。おっちゃん、ご苦労様!英語が話せないから、私の知っている限りのヒンディー(と言っても挨拶、自己紹介、数字、難しい、ちょっとまって、とかだけなのだが・・・笑)を披露すると喜んでくれた。そしてヒンディーで話しかけられるようになった。何とかジェスチャーや状況を見ながら何とか理解したと思っているが、やっぱりヒンディーを話せるようになりたいと思った。

メーター結局、新表記の140Rs(実際に140Rsではなく1.5倍~2倍くらいだったかと・・・詳しくは地球の歩き方に表記されていた)を指していた。だいぶ迷子になったようである。プリペイドにしていて良かった。



結局、30分くらいのはずが1時間かかったので、18時近くなっていた。

移動で疲れていたこともあり、一泊ダブル500Rsの場所に宿泊。コストパフォーマンスは決して高くなかったので、一泊のみにした。

夕食はBengal料理の食べられるお店に入った。

@Radhumi Restaurant 

・Aier Fish(痛いに近い激辛)65Rs

・Aloo Bharta(Aloo:ジャガイモのマッシュ、香草、玉葱、青唐辛子)15Rs

・Rice 15Rs

相方は2匹海老の入ったクリーミーな料理を食べた。こちらは日本人が大いに好みそうなほっとする味付けだった。

気さくで陽気な店員さんがいる。めちゃくちゃ辛かった美味しかった!

そしてこの言葉を店員さんに教えてもらって食後のミントをかじってお店を後にした。

Ami Tumake Barobasi(Ami:私は、Tuma:あなた、ke:を、Barobasi:愛しています)



夕食後、いくつか宿を下見に行き、Hotel Time Starというゲストハウスに決めた。ダブルで375Rsだという。部屋が広くそれなりにきれいで、お店の人も親切でユニークだ。(朝晩は他の部屋のテレビの音などで騒々しい。それ以外はとても良かった)

翌朝6時、マザーハウスに行く前に寄ってチェックインすることを伝え、宿に戻った。

インド旅行記 7

【22nd】


朝食を済ませ、朝8時から授業が開始された。まだ頭痛と咳は残っていたが、子供たちには関係ないのと、子供たちからパワーをもらってなんとか乗り切った。

担当した生徒は、英語:Vijay 算数:Raju。

Vijayは賢く、英語の問題をどのように出そうか迷った。また、30分くらいすると飽きてしまい、授業に対する関心を継続させることの難しさを感じた。また、1時間の英語の授業が終わり、算数の時間。Rajuは4桁の計算まで出来る、ということだったので、繰り上がりの計算をとかせようと思った。ところが、0の意味や繰り上がりの意味、3桁と4桁の意味の違いが理解できなかったので、「ムスキール…(難しい)」を連発。「Hiro~ムスキール…」と、スタッフのHiroさんに助けを求めることしばしば。そこで、絆創膏の枚数を減らしていって、0ってどういうことなのかを説明し(1+0=10だと思っていた)、またどの桁がどの桁に対応しているのか下線を引き、同じような問題をたくさんだし、また出来たら毎回毎回褒めた。すると、Rajuは問題を解くのが楽しくなったらしく、もっともっと!と問題を解きたがった。宿題もたくさんほしい!と。解けると楽しいし、褒められると嬉しい。だから問題を解くことに対して関心が高くなるのだろう。途中「10時になったらランチタイムだから帰る!」と言っていたが、結局たくさんの問題をちゃんと授業終了の10:30まで解いた。次の授業もしっかり出た(こちらは英語でお手紙で、Rajuは乗り気にならなかった)。子供たちにとって、勉強することが楽しいと思えるような環境と対応が必要なのだと思う。だから入口は「楽しい!」から始まる必要があるのだろう。学校は楽しいから来たい、そう思えることが子供たちにとっていまは大切なのだ。でなければ、数ヶ月おきにしかこなかったり、数回きりになってしまったりする。Rajuも1ヶ月ぶりにきたらしい。金銭的に余裕が出来たり、学力的に追いつけるようになれば、近くにある公立学校に通うようになる子供もいるという。ただ、舞子さんのお話では、公立学校も最も安くて月100円かかるといい、月収5000~6000円の家庭が多いこの地域では払い続けるにはあまり月収が十分ではないという。当然だが、一筋縄ではいかない。ただ、子供たちにとって最低限英語やヒンディー語をならい、計算ができるようになれば、将来簡単な交渉や契約が出来るようになる。物の売り買い、リキシャーでの交渉、書類の授受が可能になれば、お金を稼ぐことが出来る。今教室に来ている子供たちは、もしかすると長く学校へ通うことは出来ないかもしれない。だが、子供たちが結婚して、子供が生まれれば、学ぶことの重要性を少しばかり教えることができるようになるかもしれない。学ぶことが大切だと感じられれば、ほんの僅か、次の世代の状況が明るくなるかもしれない。将来に希望を持ち、未来の選択肢が広がるかもしれない。見えない将来に、未来に希望を持つことは、今日この瞬間を生きる人にとってはとても容易なことではない。今日を生き、明日の朝が明けることを願う。だから、簡単には目に見えない教育を進め、継続させていくことは困難であり、しかし同時に、根気強く継続を促していくことで次の世代の選択肢と可能性を広げることが出来る。

教室に来る子供たちがいつか、結婚して子供を生んで、そしてその子供たちに、より生きた教育を受けられるように手を貸して上げられるような大人になってほしいと、強く強く願う。



さて、昼食を待つ間、schoolの教室横に間借りしている家族がいる。その子供たちの部屋に遊びに行って、一緒に白黒アニメテレビ(忍者ハットリ君!)を見たり、女の子にヘナを施してあげたり(初めてで要領が全く分からなかったが、お花を描いてあげた)、ハツカネズミを観察してみたり(たくさんいるので気になった)。昼食を食べに上に戻り、インドラーメン(100Rs)を食べた。

宿泊代、飲み物代、昼食代、オート代(一泊二日二食付350Rs/1人+30Rs+100Rs+75Rs)を支払い、スタッフの方々と話しをしたり、お掃除の女性の子供、ナジュラーナ(2~3歳?)と遊んだり写真を撮ったり。ナジュは本当にかわいい!絶対美人さんになる。

出発直前、花ちゃん(4年生、休学して世界一周中)が現る。とてもキレイな、かわいい女性。彼女の話も聞いてみたかったが、時間が無かったため連絡先を交換して、みんなで写真を撮って3時に、school前に呼んでもらったオートに乗り込んでBanaras駅に向かった。駅に早く着いたので、バザールを散策。思いのほか泥だらけの洋服が増えてしまったため、洗濯できず洋服が足りなくなり、Kurti(200Rs)を購入。そしてChaiを飲み、ブラッジャムーン(6Rs)という黒い丸い揚げパンをシロップに漬けたようなお菓子と、チョコレートバルピン(6Rs)というベースはミルクっぽい少しぽろぽろしたお菓子を買って食べみた。他にも気になったのがあったが、味見して好みではなかったのでその二つに。ただ、どちらも結局食べ切れなかった。インドのお菓子は異常なほどに激甘。相方も甘党だが、二人とも僅かにかじっただけで終わってしまった。

駅で電車待っていた。電車が着たので車両を確認しようと後ろから前まで確認したが…どうも乗り込むべき電車ではない。なぜなら全てSLクラスだからだ。おかしい。

そばにいたポーターに、これはKolkata行きか?と訊くと、「違う。Nextだ」と言われた。

そうか、では次を待つことにしよう、と思い、その辺の空いていた場所に新聞紙を敷いてインド人大家族の横に座って待っていた。もう片方の隣には、物乞いのおばあさんと見られる女性がいた。お金がほしいというジェスチャーをされたが、あげられない。先ほど買ったバルピン、食べ切れなかったのを持っていた。たぶん、私の座る新聞紙、後ろ側に置いたら彼女はそれを手に取って食べるだろう、と思った。あげるあげないを考えたわけではなく、ふとそう思い、置いた。予想の通り、横に目をやると、彼女はそれを食べていた。それに対して私はなんとも表現しがたいものが胸の中に起こった。「あ、やっぱり食べた」「私、何をしているのだろう」「美味しいかな」「手渡しすればよかったかな」「分かっていて後ろに置く行為は暗黙の了解のうちに差し出していることになるのかな」そしておばあさんは横になって寝始めた。

隣の大家族の子供二人、お姉ちゃんと弟。SabtaminagちゃんとRudbakshanag君。「Hi! What's your name?」とSabtaminagちゃんに話しかけられて、私のノートに二人してお絵かきを始めた。お家を描いたりハートマークを描いたり、弟は思いのまま何かを描いていた。枚数はたくさんあったので気にしていなかったが、お母さんがインクが無くなったり紙がなくなったりするのを気にしていた。始め何を気にしているのか分からなかったが、親戚かなにかのお姉ちゃんが英語で説明してくれた。その後は、子供たちがお母さんに注意されたので、弟は持っていたハヌマーンの人形を振り回して、「ハヌマーン!」と叫びながらきゃっきゃしていた。よって彼の愛称はハヌマーン少年(と、ハヌマーン少年とその家族)になった。だからハヌマーンは、思い出深い。笑

ところで、いつになったら電車が来るのだろう?と思うと、既に時間は2時間だか3時間だか経過。18時発が出発したのは22時だった。車内で寝るための支度をして、おなかがすいたのでクッキーとカロリーメイトと水を飲み、就寝。

インド旅行記 6

【21st】


早朝5:30、外から祈りの声が聞こえてきた。コーランを読み上げている音だった。メインの通りを南に10~15分くらい歩いたところはムスリム居住区である。

朝、通り沿いにある観光客はめったに入らないだろう大衆食堂で食事をすることにした。

ジャガイモとグリーンピースのカレー、ご飯、甘~いオレンジ色の揚げたお菓子のPlate(45Rs)。隣に座った3姉妹とその家族(計10人程)と少しばかりお話しながら。

宿に戻り、チェックアウトし、荷物を預けて、南の方にあるガートへ向かう。スロープを登ったところに電子火葬場、ガンガー岸が薪の火葬場。電子火葬場あたりでヤギを触って、頭を掻いてあげたら、いつまでも付いてくる~~~~!!!5分くらいその場所でくるくるくるくる一緒に回って逃げていた。かわいいけど。

火葬場を見るなら、ボートがいい。と近くのおじさんに勧められた。実際、近くで見学しているとものすごい灰を被ることになる。喉がやられてもおかしくない。だが、私はボートでの見学はするつもりは元々無かった。観光客は灰を被らないで汚れることのない場所から…そんな高みの見物をしたくなかった。死者を弔う、悼む、死者の親族と共にただその同じ空間を共にしたかった。

火葬場には、女性はいない。それには宗教的な理由がある。妊娠や月経は不浄の期間とされることから、それら外部から一見しては分からないため女性は一切火葬に立ち会えない。だから極端に近くへは行かず、他の女性が通るような場所から眺めていた。一体火葬が中盤から終盤に近く、一体は薪が積み上げられていた。一体は薪の上に花々などと一緒に横たわっていた。黒く跡形も見えないチリとなった数十分前は火葬が行われていたであろう場所もあった。10代の子供たちが灰取りでかき集め、ガンガーに流していた。

最も、火葬が進んでいたその横には、薪を新たにくべ、また黒いその姿を棒で突付き、燃え易いようにする少年がいた。くべた薪がきっと頭であろう場所に当たって、きっと火が通った脳が、頭だと思われる場所が割れてぼろぼろとでてきた。脚だと思うそれらは、膝から下が既に無く、他の場所の色ではなく、少し白く見えていた。骨だろう。

人は、こうなるんだ。

炭になって、灰になって、塵になって

少年がそれを集め、聖なるガンガーへ。

たくさんの金銀色の織物、たくさんの花飾り

それらが火葬場にはたくさんあった。

最後は、天国では、来世では、すばらしい日々を送れるように、という想いがこめられているのだろうか。



相方は、まだじっと見ている。これ以上私はここにいられなくなり、先に階段を上がった。感じたことを忘れないように、ノートをとっていた。すると、いつの間にか子供たちが集まってきた。「Candy?」と言うと、喜んでいた。何人も集まってきた。しばらくして会い方が戻ってきたので、子供たちが集まり過ぎないうちに宿の方面に歩いていった。



途中、Mega Mart(Banarasでは衣料品スーパーだった)に寄り、朝晩冷えるようになっていたのでショールを買った。



昼食はAPSARA Restaurant/Yes we are less dirty.という場所でPaneer Kofta(70Rs Paneer:チーズ)、Butter Roti(5Rs)を食べた。とても良いおじさんだった。宿に戻り荷物を持ってMother Baby Schoolへ向かう。舞子さんから予めオートでだいたい130~150Rsと言われていた。が、その金額ではなかなかつかまらない。相乗りだと安いのは知っていたが、150で行くという人がいたから、相乗り体験するいい機会だと思って乗った。一緒に乗っていた人の一人と話していると、電話番号を聞かれた。国際電話になるが、まぁ別にかけてこないだろうと思ったのと、この男性、英語がほとんど話せないからそんなに電話することもないだろうと思ったので、一応教えてあげた。大学では農業を専攻していたらしい。

さてさて、オートでMother Baby Schoolの目の前まで行くように約束したのでそこまで行ってくれた。そしたら200Rsだと言うので、「いや、目の前まで行って150RsでOKだって言ったよね~!だから150だよ~。あ、飴あげる!笑」と返した。約束したもんね。

@ Mother Baby School

<村にいる子供たちは、日本人を見ると「Maiko---------!!!!!!!!!!!」と言ってくる。それだけ、舞子さんは必要とされ、愛されているのだろうと感じた。舞子さんの印象が、そのまま日本人に対する印象になっているだろう。とても穏やかな、温かな、明るい色の空気を感じた>

まず、Guest Houseと運営や団体に関する説明を一通り受け、外へお散歩に。出るとすぐに子供たちがいた。何枚か彼らが撮影して、家の中においで!と言われた。中にいたお父さんとおじいさんにstopのジェスチャーをされたので、目線を上げると、点滴らしきものをした女性。後で聞くと、数日前に赤ちゃんが生まれたばかりなのだという。この地域はムスリムが多いらしく、その家の男性もムスリムだった。ただ、女性はブルカを被っている人は見かけなかった。その後、マーケットに行こうと思い、歩いていたら、「1picture」と、家から出てきた女性に言われる。もちろんOK!そしてその人の全身の写真、上半身の写真、ヤギとも一緒に撮ってほしいとのことだったので、撮ってあげた。どうやら写真がほしいらしい。写真が出来たら私にくれないか?というジェスチャーとヒンディーだと思う。だから私も日本語で、後で送ってあげるからSchoolの人に頼んで渡してもらうようにしておく!という説明とジェスチャー。とっても嬉しそうだった。

先へ進むと子供たちがわらわら。大撮影大会が始まってしまった。お家の中、屋上、子供たちに連れられてはしごを上ったり降りたり。一人の20代の女性が私におまじないをしてくれた。目がキレイになるおまじない。炭と油を混ぜて練ったものらしいが、それを目の下まぶたの内側に塗る。そしてビンディをつける場所にもチョンとつけてもらった。物凄い顔になった…笑

花の首飾りもかけてくれて、写真を撮ってくれた。子供たちはカメラで撮影したがっていた。写真を、子供たちの目線で撮っていた。子供たちは自分で写真を撮ることは撮ってもらう以上に機会が少ない。伸び伸びとした、自由な、自然な写真がたくさん撮れていた。たくさんの写真を撮り、しかし体力的に疲れてきたので帰ろうと思っていたが、子供たちのパワーは有り余っている!とすると、一人のお母さんが「もう終わりにしなさい!」と一喝!笑 笑っていると「あなたたちも早く行きなさい!この子達にまた囲まれるわよ!」というような感じで一喝!笑 お母さんありがとう。だが今度は別の場所で写真撮影会。笑 撮影会に終わりは無い! すると、20代のお兄ちゃんと少年たちが来て、「一緒にサッカーしよう!」とのことで広場へ行くことに。

ぬかるんでいたので、つるつる滑ったりしながらサッカーをした。自己紹介大会開始!そしてなぜか7歳くらいの少年のほっぺにちゅーすることになった。その場は大盛り上がり!子供たちはかわいいね。しばらくして、もう帰るね~というと、だめだー!と、お兄ちゃんが逃げる私の腕を捕まえて放さないわ抱えてぐるぐる回るわ手を握ってるわ…面倒だから相方に「heeeeey, she is my girl friend!笑」といってもらって手を離してもらったが、すると「Kiss her!」って、lieなのだから無理なのだ!彼らにどこだかへ一緒に行こう!と誘われたが、日が落ちてきたこと、泥だらけになったということで、宿に戻って休むことに。

屋上に、Akiさん(三鷹で劇団員、マレーシア経由でインド出入り、買い物好き)、ふくちゃん(一人旅中、旅先で出会った方と結婚)、あやちゃん(大学4年生休学中、2月頃までインドと周辺国を回る)がいたので、旅のお話、schoolのお話をしました。Akiさんは1週間ほど、ふくちゃんは3日ほど、あやちゃんは1ヶ月ほど。夕飯の時間になり、オクラ丼とパコラをいただいた。夕飯を終えた頃から、寒さと胃痛、頭痛、咳が起き出した。寒さは、単純に冷え込んだからであり、胃痛はもしかすると日本食を精神的に受け付けていなかったのかもしれないことで起こった可能性がある。海外で日本食は食べたくないと思っていたので…笑 頭痛はクラクションとrough roadが原因なのは間違いない。喉は排ガス。相方にパーカーを貸してもらい、レギンスを履いて、Akiさんに胃腸薬を頂き、ふくちゃんに龍角散トローチを大量にいただいた。蚊に刺されてODOMOSを全身に塗るのに起きたが、それ以外はおかげでぐっすり寝ることができた。夜、スタッフの方々とお話が出来なかったのは残念だった。

インド旅行記 5

【20th】


朝5:30「チケットを見せるんだ。もうここはBanarasだ。5分で出発するから早く外に出るんだ。」と乗客を連れたポーターが現る。なんと、予定通りに到着したため、とてつもなく早起きすることになった。寝ぼけながらあわてて外に出る。後々気がついたが、ワンピースを一着車内に落としてきたらしい。きっと今頃誰か女の子が来ているに違いない♪

さて、Banaras駅。まずPay Useトイレへ。女性側は混んでいる。歯を磨いたりしている。トイレは2つしかない。水道も2つ。取り合い奪い合い。時間がかかる。私はお腹が痛いんだ。だから横入りしないでくれ。こんにゃろー。と思うが、そこは中国で身に付けたトイレに入るための図々しさがある。それなりの順番で無事使用できた。時間は6時を過ぎていた。すると、舞子さんに三度遭遇!偶然に偶然が重なり、もはや強い縁を感じずに入られなかった。Gowdriya交差点まで、30Rsだということで、サイクルリキシャーの交渉をしてくれた。オートだと良く分からない場所に連れて行かれる可能性もあるから、とのこと。舞子さんと、ゲストハウスでまたお会いすることを約束し、ここでお別れした。無事たどり交差点まで着き、予めオススメしてもらっていたShiva Guest Houseに宿泊した。舞子さんの友人であるオーナーのShivaさんにchaiを頂き、部屋を見せていただき、ダブルで400→350Rsで宿泊させていただいた。清潔感もそこそこあり、ホットシャワーも使用可能だった。チェックイン後、まず洗濯し、干し、外にもロープを…と思ったら、屋上の方から「猿が来て取って行くから外はダメだよ!」と。ふと見ると、確かに猿が…。出窓を空けたまま、室内で洗濯物を干していたら、出窓のすぐ先で「キキー!」焦ってすぐに出窓を閉めた。猿にはくれぐれも注意が必要だ。

朝食を食べに、外へ。

どこか忘れたが、Cheese tomato toast(40Rs)とchai(7Rs)を食べ、ガンガーを眺めながら南へ歩く。階段を下りる際に祈ってから降りる者、ガンガーで沐浴する人々、選択する人々、水遊びする子供、仕事をする人、ガンガーの向こうに見える“不浄の地”の岸には何も無く、不思議な光景が広がっていた。

いろいろな物が詰まったヘドロというか粘土質の物質というか、階段に積もった?それらをホースの水(かなりの水量と水圧)でガンガーへ押し流している場所がいくつかあった。

しばらく歩くと…はまった。

相方も…はまった。

動くほど…脚が埋まる!!!!!

二人とも膝まで埋まった…



Heeeeeeeeeeeeeeeeeeeeelp!!!!!!!



近くに来てくれたインド人親子に救出してもらう。

ビーサンたちは、ガンガー(横)の泥の中に、思い出と共に埋まっているのだ。

脚を洗うためにガンガーへ。思いもかけない形でガンジス川に漬かることになったが、決して忘れられないものになった。

救出してくれた少年の名前はBabu、おじさんは「ガンジス川でバタフライ」の際、長澤まさみを船に乗せた人らしい。

裸足でBanarasの路地を、至る所にある牛糞やゴミを避けながら、靴屋さんまで連れて行ってもらった。

宿に戻り、着替え、改めてBanaras Hindu University(サイクル30Rs)内のVishwanath templeに行く。大学構内はとても広大で、構内バスが走っていた。在学生用だが、近くに止まっていたので乗って寺院まで5~6分走って着いた。参拝者が学外からたくさん来ていた。Shivaを祀った寺院だという。数家族がそれぞれ何かの儀式をしていた。中心にあるつるつるした石を磨いてココナツ液をかけたり花びらや赤・黄色の粉を塗ったり、水をかけたり…。

一連の儀式を見終わり、10Rs寄付箱に入れて寺院内を見て回った。ヒンドゥー教の不思議さ、様々な宗教の神様は全て同じでありヒンドゥー教に繋がっている、と。そんなような文章・絵画がいたるところにあった。これに関しては、肯定も否定もしない。

さて、寺院から出て小腹がすいたのでサモサとサモサの衣の部分(食べて分かった)を食べた。スイートチリソース一緒にもらった。座った次の瞬間、蜂が何匹も寄ってきたため、3つだった容器を2つにまとめ、一つ放置しておとりにして去った。コワいコワい。夜は確かGerman Bakery でThaliを食べた。

夜9:30頃、ドラムの鳴り響く音と祈りの声とが聞こえてきた。訊くと、Pujaの祈りだという。大きな音に驚いて起きた。外は小雨だった。



インド旅行記 4

【19th】


@Mohammad Good Earth Dhaba

・Morning set 25Rs

(Coffee or Tea, toast 4pcs, butter & jam, eggs, seasonal fresh fruit: banana)



@Taj Mahal

入場料 foreigner 750Rs(水、靴袋、ADA料金、Taj入場料含む…500 for Agra Development Authority:一度のみ支払うがチケット紛失の場合他施設入場の際再度必要。他4施設を入場料のみで入場可能/Agra fort, ファティープル・シークリー, sikandra)

政府公認のガイドと名乗る人が案内してくれた。後で知ったが、ガイド料金は575Rs~975Rsだった。Tajは実際に行って観る価値があったと感じた。あまり観光地は好きではない(写真で観れば行った気になって満足してしまう)のだが、大理石で造られたそのシルエットが青空に浮かんでいるようで本当に美しかった。天国へ行く道、という意味がこめられて造られたという。ドームが二重なのは万一上層が壊れてもムムターズ妃に被害が及ばないように、また4つのミナレットは外側に幾分か傾いているのは万一地震があっても内側に倒れないようにという理由。アラビックでコーラン(天国への門だったか…)の一節が側面に門の形に描かれているが、下から上に見上げても帯がまっすぐに見えるように目の錯覚を起こす仕掛け。つまり、実際には上部の幅は広く取られて描かれているということだ。なんとも素敵。Tajの中、妃の棺のレプリカのある場所(本物は地下)、そこは入り口の門から直線で結ばれている。夜のTajはまた美しいという。名前は忘れたが、ある赤い石は月光を反射させ、輝く。ものすごい数の石のピースを埋め込んで造られた数々の装飾は、技術力の高さ、権力の現れ、妃への愛、様々な意味がこめられていた。間近で見ていて、また来たい、いつか、月光に輝くその姿を見てみたい、そう思わせる程に幻想的な空間だった。

敷地内はとても広く、公園のようだった。細部まで手が込んでいて美しい。自分がインドに来ていることを忘れさせるように豊かな自然が広がっていた。

鮮やかなGreen Parrot、たくさんのリスも縦横無尽に駆け回っていた。どうもインドにはリスが多いようだ。

Tajミュージアム(10Rs)にはTaj、ムムターズ妃、シャー・ジャハーン等の絵画、使用されている宝石類などが展示されていた。

ガイドの青年は大学時代に歴史専攻だったということで、ガイドなしでの見学に比べ多くのことを学べたと感じた。(日本語ガイドの有無は不明。余談:H.I.S. Delhi支局は日帰り観光をやっている)大体2時間ほどで外に。

昼は、もうここしかない、とAgraに来る前から決めていたJonny’s Place(ジョニー!笑)で。

@Jonny’s Place

・Malai Kofta 60Rs (Malai:クリーミーソース、Kofta:ジャガイモコロッケ)

・Lemon soda 15Rs

とても美味しくて安かった。他の料理もきっと美味しいだろうと思う。ここはオススメのレストランと言える。

Guriという当時6ヶ月の猫がいた。とてもおとなしくて、かわいかった。カメラを鼻先まで近づけてもまったく動じないという、さすがインドの猫(?!)という感じだった。鼻筋の通った美形猫ちゃん。

ネットカフェでAgra fortまでの距離、歩き方、Agra Kantまでの行き方を調べ、まずインド最大のモスクと言われるJama Masjidへ向かう。子供が食べていたアイスが気になり、アイス屋(基本的に移動、遊園地にありそうな感じ)で(10Rs)購入。どうも、インドのアイスはふわふわ空気を含んでいるようだ。嫌いじゃない。味は、忘れたけど美味しかった。Jama Masjidまでは狭い混んだマーケットの中を通って、その中間くらいにある。東京の満員電車の車両の中を歩き回る、幅も混み具合も丁度その様な感じ。

で、汗だくでたどり着く。入り口で靴を脱ぎ、持っていたビニール袋にいれ持ち歩いた(どこへ行っても預けるよりこの方が、いくらチップを払うとか考えなくて良いので楽かもしれない。これ以前、以降ビニール持っていなかったので1~5Rs程で預けていた)。モスクのマネジャーという人が案内してくれた。お祈りの前に手足や口を清めるための水は階段を上がって広がる広場の中央にあった。そしてモスクには門の形にアラビア語が書いてあった。これはウルドゥーアラビックだということが分かった(ここもシャー・ジャハーンTajも同様)。いくつかお祈りの場所を見学させてもらい、また敷地内の一角ではUrduとArabicの授業だという。小学生くらいの子供たちが男女混合で授業に出ていた。マネジャーは、こんなことを言っていた。「インドではマイノリティの宗教となるイスラム教の肩身が狭い。特にテロの問題があってからは風当たりが強い」と。最後に寄付を求められたので、2人で200Rsと相方の名前で記入して広場に戻る。去り際に、日本のペンと交換してほしい、と言われ、どこかで私がもらってきた良く分からない企業の宣伝用ペンと交換した。

淵で休んでいると子供たちが寄ってきて「Pen!(ペン頂戴とのジェスチャーも)」と、3人ほど寄って来た。ムスリムではなく、多分その辺に住んでいる子供たちだろう。この広場は子供たちにとって格好の遊び場であるのは間違いない。何も無く広く、危険も少ない。ペンは1本しか無いので「Candy?」と聞くと大喜び!またここでもリーダー格の少年が手に出した飴を全部とっておっかけっこの奪い合いに!笑

散っていくと誰か別の子が来る。そしてさっきの子も「もう一個!」といってくるので、一人一つだから~!さっきあげたでしょ~!笑 と、他の子に配る。

すると、また別の子達が来た。今度はさっきもいたちびっ子1人が2人を連れてくる。名前を聞くとFarahahn,、Doli、Samirという。写真を撮って!というので、一緒に写真を撮った。すごくかわいい。そうこうしているうちに、授業の時間が終わったようだった。

そしてAgra Fortへ向かおうと腰を上げる。最後にその3人は、ペンやコインがほしいと言ってきた。私はペンはあげられないし、コインも無いと言い行くが、相方はコインをあげた。そして子供たちは去っていった。コインをあげたけれど、あまり後味は良くなかったらしい。

バックパックを背負っての移動は若干面倒だったこと、Agra Fortまで距離があることで近くの道路からオート(30Rs)に乗った。

Agra Fortの赤茶色は異空間にいるような感じだった。荷物を預けて中へ。途中、女子高校生たちの集団に遭遇し、一緒に写真を撮ってほしいと言われ、私も相方もそれぞれ彼女たちに囲まれる。残念ながら自分たちのカメラには彼女たちとの写真が一枚も残っていない…残念。相方が女子高生に囲まれている姿くらい写真に残しておけばよかった。ネタになったのに。笑

このAgra Fortはシャー・ジャハーンの息子が造り、父親を軟禁していた場所。遠くには美しいTajが見える。それは、もはや手の届かない、美しく遠い存在に思える。

さて、Agra Fort を後にして向かうのはAgra Tundla駅。列車じゃ着かない、オートは営業外だからいけない、だからやむなくtaxi(NAC)で向かうことに。オートに乗せてもらってtaxi会社へ。町中でカラーパウダーか何かを、ホーリーのときのようにつけている人たちが騒ぎながらたくさん歩いていた。DurgaというShivaの妻の神様に関するお祭りだという。

30kmあるらしく、車で1時間程かかるという。バスは乗り継ぎが必要とのことで、不安が残る。シゲタトラベル曰く、インド人価格でもtaxiは600Rsらしい。結局払った850Rs、どちらにしてもtaxiは高いから避けたかったが…。500Rsを先払いで、降りるときに残りをドライバーへ。

お腹がすいたのでタクシー会社のそばのレストランで食事を。

@Delhi Darwar Restaurant

・Thali 70Rs

・Water 15Rs

ここのThaliは美味しかった!多分、2週間の中で一番美味しかったと思う。



さて、Tundla駅へ向かう道中に驚いたこと一つ。相乗り車(トゥクトゥクのようなもの)や中型バスだかワゴンだか分からないけど、それくらいの大きさの車に、「定員?No Problem!落ちなければ何とかなるよ!」といわんばかりに人が溢れて乗車…というよりもしがみついている。3台程度、そんな車を見かけた。彼らの腕力と体力の平均値が高いことは確かだろう。40~50分程して、Agra Tundla駅に到着。荷物は「大きすぎる」ということで預かってもらえず。1時間ちょっと余裕があったため、メインロードの店を移動遊園地のあるところまで散策。移動遊園地はもう終わりの時間だったので、怪しく危険そうな観覧車には乗れなかった。残念なような、良かったような…。そこでたくさんの子供たちに囲まれる。中には24,5歳の兄ちゃんも。年齢とか、そんなこんなの話しながら、お決まり、写真撮ることになって撮ろうとしたら、閉演だからということで表に出される。そこで撮影の開始―!!!笑 みんな写真が大好き。普段、撮る機会は多くない。少ない。外国人と話をする機会もめったに無い。だから、外国人の自分は人気者になるし、写真を二人で撮りたがる。ピンで撮りたがる子も多い。いつのまにか少年にちゅーされてたり、本当にみんなかわいい。「Pappi!Pappi!」といって少年たちはほっぺにちゅーをねだる。映画の影響なのか、何の影響なのか、よく分からないけれど、たまにある。少年に紛れて20代の男の子らもハグとキス!と。どっちも無理です。許されるのは少年からのほっぺにちゅーだけですから♪

結局最大で20人ほど集まってきてた。どこから来たのか分からないけれど、とても多くの男の子たちと、少数の少女が集まっていた。駅に戻りつつ、付いてくる子達も。その中の一人が、ふとポケットから白い石のようなものを取り出し、私の口に入れた。手にも2つほど握らされた。それは、甘くて優しい、インドで一番好きな、そんなお菓子。多分メレンゲと砂糖で作ったものだと思う。食べ終わると同時に、またポケットから、今度はポン菓子を口に突っ込まれた。ポン菓子は日本の物と変わらない、優しくて、美味しい。もう少し時間があったから、駅そばのご飯やさんでジュースでも飲もうと思い、席に着く。Sprite(22Rs)飲む。しばらく座っていたら、店のおっちゃんが、ほとんど英語は分からないけど、「Chai?」と勧めてくれた。幾ばくか、かろうじて片言の英語で一生懸命話をしてくれた。時間も時間だったので、Chai代を払って後にしようと思ったのだが、おっちゃんは、「いいから!」と再三御代の受け取りを断られたので、好意に甘えさせていただいた。

Agra Tundla駅からBanarasへは12時間。予定時刻に発車した。初の寝台での就寝。3ACの最上段で、特に何の支障も無く就寝。

インド旅行記 3

【18th am】

Pahar Gandhi st.(メインバザール)のカフェがたくさん在る場所で朝食場所を探していると、舞子さんに遭遇。まさかまた逢うとは思わなかったため、びっくりした。その場は挨拶して別れた。

@Kosla Café

・Masala milk tea (chai) 10Rs

・Honey toast (brown bread 2pcs) 25



メインから少し外れた横道には、野菜市場があった。多くの旅人のいるメインバザールの一角なのだが、英語が一切話せないところをみると地元の人しかこないのだと思う。そこで大粒のマスカットのような実(Amura)があり、「sweet?」と聞くと「yes」と言って、一粒もらった。どうやって食べるのだろう?とそれっぽく訊いてみると、かじるジェスチャー。本当に甘いのかな~?と思いつつ、かじる。と、めちゃめちゃすっぱく、渋みが強いものだった。近くにいた英語が話せる地元のおじさんの説明によると、のどが渇いたときに潤すのによくかじるということだった。唾液腺が刺激されて確かにのどは潤った。

道端の商店で、(以降、店。日本的にイメージする店ではなく、カウンターが道に面してあり、シャッターでの開閉。規模は1~2畳くらいが多い)蚊除けクリームODOMOS(35Rs)、水1ℓ(10Rs)を購入。車内の昼食をいつどこで何を購入できるか分からなかったため、予めチャパティ/Rotiを2枚(1枚5Rs)購入。リンゴは1kg5~6個で60rs?と、そんな食べきれないため断念。

昼頃、Agra行きの列車に乗車3時間ほど。Sleepers Classという最も安いNAC車両に乗る。Chai売りと昼食売り(両方鉄道社員の制服を着ていた)がいたので、32RsのVeg. Thali(Dal:豆カレー、野菜カレー、ご飯、Roti、curd:ヨーグルト、水)を食べた。ゴミは…窓の外に投げ捨てる。それが普通なのだというし、実際道端でもゴミをそのように捨てているのだが、心苦しかった。ゴミ“誰か”が収集し、行く場所はどこ(eg.ゴミ箱)に捨ててもほぼ変わらない。もどかしすぎる。私はゴミをポイ捨てしなかった、と、自分を庇いたいという偽善のエゴから、せめてゴミ箱に捨てたいと思うのだが、ゴミ箱はほとんど無い。あったとしても、メインストリートにのみで、夜になれば道端にゴミ箱をひっくり返して、皆就寝するのだ。翌朝までには“誰か”が回収するから。

車内では食べ物を売る他に、お菓子売り、おしゃれ用のジップチャック付け替え行商、おもちゃ売りもいた。また肢体のどこかに障がいを持った人や、家族(父:Chai売り、母:歌?、4~5歳の息子:道化)などがコンパートメントの中で稼ぎをしていた。



<かわいそうだからコインを、という行為はしないということを決めてインドに来た。それはstreet children、障がい者、老人、どんな人に対しても同じ。同情からは自立ではなく依存が生まれ、自立を妨げる。私一人のその場の一瞬の行為で何が変わるわけでも、その人の何を変えられるわけでもないけれど、それが私の考えだから。だが、そのとき彼らを無視することは、心苦しさともどかしさを感じるばかりだった>



■印象に残った人々

・「娘の結婚持参金(dawry)ためにお金を下さい。洋服でも構いません(英語、ヒンディー語)」というカードを配る母親。

・推定40代の男性、右手の手首から先の骨が無く、ぐにゃっとしていた。手首の内側に縫った跡があった。



<dawryの問題は今も根深く残っている。結婚のために金品を女性側の家族が年収の何倍も払わなければならない。そのために莫大な借金を背負うこともしばしばだといわれる。資本主義の影響が大きく、貧富や教育の差には関係なく存在する。卒論に関係する内容であることから、とても興味深い場面に遭遇した。>

<肢体障がいは、意図的につくり出されることもしばしばあるという。ただ貧しいだけではお金はもらえない。まして男性では特にそうだろう。この男性もその一人だと思われる。他にも、ひじから下の腕が無く、ひじの部分からは縫った後と共に骨見えていた人もいた。思い返せば、女性の障がい者は施設以外では一人の聴覚障がい者を除き見なかった>



■小銭をもらえる人の順番(人々を見ていての推測)

子供>障がい者>大人



<子供はそのあどけなさからコインを集め易いように感じた。他の場所だが、しかし、生きる術を見つけようとし、生きるstreet childrenは、子供らしさ、その風貌と行動からあどけなさが失われている(環境によって奪われているというべきだろう)ように見えるからなのか、邪険に扱われているように見えた。生きる術を何かしら見つけることが出来なかった子供たちは、男女で別だと思うが、自ら、または親が障がいを“選ぶ”場合もあるのだろう。そうなってしまえば、プラスチックや紙、ビニール、服、その他を集めることも出来なくなるだろう。カーストと貧富の関係が必ずしも一致しないといわれる今、推測だが、自分のカーストのすべき仕事ではないとして資源集めや掃除を選ばない場合もあるのではないか、と思う。分からない…。ただ、生きるための選択として障がいを選ぶような環境が生まれている状況があるのは、何を変えることが出来るかわからないが、悔しい。>



■窓の外の景色

・スラム街(水が緑色、ごみの中にレンガor円形に固めた牛糞土壁の建物、ビニールか何かで覆ったキャンプにあるような簡易テント:三角ないしビニールハウス形)

・スラムには多くのヤギと幾ばくかの牛

・草っ原でヤギの飼育

・スラム街の向こうにカラフルな商業施設



<経済の発展があり、そこからトリクルダウンでボトムラインが上がっていく…。理論は分かるが、貧富の差は、天と地ほどの差がある。相方が「裕福な人たちは、貧しい人たちと、ごく一部の街中やメトロの駅周辺で、わずか一瞬すれ違うだけなんだろうな」と言っていた。が、それ以上に私はすれ違うこともないと思う。貧しい人は裕福な生活や人を様々な媒体を通して知ることが出来るが、裕福な人は貧しい人の生活を見ることはない。知らなくても生きることが出来る場所にいるから。NGO等が数多く存在するインドだが、いくら政府が政策を実行しても、なかなかボトムに届きにくいのは、インドがあまりに多様で複雑で数多くの問題や文化が絡み合って解けないからなのだろう>



【18th pm】

@Agra Kant

駅から安宿の多いTaj Mahal近くまで行こうと思うが、駅近くのオートリクシャー(人力車×バイク)やサイクルリクシャーの客引きがかなり多く、とりあえずTaj Mahal方面に歩くことに。10km弱あった道のり、6kmほど歩くとGandhi Gateなる門の先の広場で何か人が集まっていた。そばにいた少年たち曰くCommon Wealth Gameの一つだ、というが地域の交流会に見えた。さすがに長距離歩いたのは疲れ、オートリクシャーを捕まえ、チケットカウンター近くまで20Rsで連れて行ってもらった。

Shanti Loggeの新館に泊まった。ダブル一泊400Rs。それなりに部屋は広く、まぁ悪くは無いのだが、旧館の方がきれいだったし安かったので、もう少ししっかり見定めする必要があった。

夕方、チケットカウンターの場所と周辺を散歩。途中、お土産売りの子供たちが何人か来た。お土産は買わない予定だったが、ちょっと交流したかったので「Candy?(あめほしい?)」と聞いてみた。するとニヤけながら少年の顔に戻って頷いた。いくつか飴を出した。3人いたが5つくらい手に出して一個ね!とジェスチャー。が、リーダー格?一番気の強い?少年が全部とって、分配、というか取り合いを開始!笑 そして、道に座って物を売っていた他の少年に飴を一つ渡していた。お菓子は、子供に無邪気な瞬間を返してくれる。

日中~夕食までTaj Mahalの見えるShanti LoggeのRoof top restaurant に行き夕食。

@Shanti Logge

・Chai (pot) 40Rs

・Papad (crispy n salty stack) 10Rs

・Mutton masala 100Rs

・Roti 5Rs

インド旅行記 2

【17th pm】


Indira Gandhi international airport @Delhiに到着し、両替を考えるためにまず税関前の両替所(2箇所)をチェックするが事前情報と通りレートが悪い。税関後の両替所(1箇所)も悪かった。市内で交換するには、事前に望める情報を得ることができなかったため、結局空港から市内の送迎を依頼していたシゲタトラベル で両替することにした(2万円)。レートは1万円で5000Rsと、決して良くはないが、空港に比べればいくらかましであり、知らない両替所で不要な心配をする必要が無いため安心を買った。

もう一人同席する人がいるということで、その人と一緒にCottage Yes Please(CYP)に行く。その人は岡本舞子さん というNPO法人On the Roadを運営している方だった。すばらしい偶然の出逢いに感謝だ!出だしから恵まれている。バスに乗り込み、運営しているschoolと収入源のゲストハウスの話を伺い、連絡先を頂き、Banarasでゲストハウスに行く事を約束した。CYPで予約を依頼していた寝台列車のチケットを受け取り、代金と手数料(200Rp/per 1ticket)。MakeMyTripで予約しようとしたがクレジットカードが使用できなかったため、やむなく依頼。長期の旅であれば駅のカウンターに行って予約したかったが2週間では時間に限りがあるため現地では満席の可能性が高かった。予約は2週間以上前が望ましいという。今回は、ちょうど到着日がBangladeshの新年らしく、またその前後に様々な祭りが重なっていたこともあり、Banaras→Kolkataの寝台がweb上ですらほぼ満席状態だった。支払いと両替を済ませ、ホテルに送ってもらった。初日の宿はHotel Glow innで、ダブルNon Air Condition(NAC)一泊450Rp。後々思い返すと、コストパフォーマンスが良くなかった。笑

慣れがないと宿を決めるのは難しい。一緒に旅していた人も、バックパッカーではなかったので、インドの状況は全く分からず、また自分も北京で一泊1000円弱のドミ宿泊経験のみだったため、そのときの環境との違いに驚いた。2週間の間に勉強しよう、そう思った一日だった。

その晩の夕食はGreen Chiliという店で食事。地球の歩き方には手頃で美味しいとの評価だったが、2週間の旅で最も高額な食事だった。ただ、清潔さはそれなりにあった。

@Green Chili

・Veg. Green Curry (spinach&Cheeseを頼みたかったが、単語を忘れた。Thai風) 190Rs

・Chicken Masara 140Rs (相方)

・Tandoor Chicken half size 120 Rs

・Plane naan 2pcs 20 Rs

・Rassi salt 50Rs, sweet 60Rs

=653Rp(580Rs×12.5%サ税)



この店は地元の人も多く来店していた。混んでいたこともあり、相席だった。隣の人(25歳だというが、35歳くらいに見えた)とのおしゃべりは楽しかった。「俺はずっとDelhiに住んでいる!明日からAgraだって?俺はTaj Mahalは嫌いだ!まずDelhiにはたくさんの見所がある。それを見てから行くべきだね。私はTajは見たこと無いが、Delhiの方が素晴らしいんだ!」とてもDelhiを愛している様子でした。そして帰り際に、その人と一緒にいた人と「こいつと握手をしてくれ。こいつはシャイなんだ。だから握手してくれ」と。よくわからないが、とりあえず握手してその場を去っていった。

道沿いにあるお店で水1ℓ(10Rs)を買って宿に戻り、就寝。

インド旅行記 1

Sri Lanka
16th pm
StayPegasus Reef Hotel
Sri Lankan Airline サービスの一環で一泊滞在した。飛行機のトランジットが8時間以上24時間以内の場合に発生するサービス。コロンボ空港から車で4050分程走り、郊外に在る。静かで、海がすぐ脇にある3-starのホテル。
到着日はロビーフロアのホールでミニコンサート(歌)があったので、レストランに行った。が、レストランとイベントホールは別だったため、少しだけブッフェの料理をプレートに。レストランのマネジャーらしき人が話しかけてくれた。確か5年ほど日本の旅行会社で勤めていたということで日本語が話せる。とても気さくで、親切な印象を受けた。

17th am
朝、カーテンを開けると外は強い風。少しだけ雨が降っていた。窓の外のタイルにはカタツムリがいた。外に出てみた。5cmくらいの大きな、巻貝のような形。その後の散歩中にも、いたる窪みで見つけた。海のそばに生息するのだから、他の種に比べ海の塩に強いのだろう。
部屋に入り、カーテンを閉めようとすると、小柄なおっちゃんが手を振ってきた。手を振り替えしたら近くに来たので、少し話すと、「alligatorがいるから見に来ないか?ココナッツジュースがあるから飲まないか?」と言う。朝食に行く前だったので、その様に断った。近くに河があるらしい。
朝食を食べようとレストランに行った。外は大雨、強風!だったが30分もしたらほとんど止んだのでお散歩に。

おっちゃん再来~

カヌークルーズのお誘いに写真集を持ってきてくれた。一人$65で!・・・って高っ!笑
その後も「fish marketが近くにあるから行かないか」「ココナッツジュースを飲まないか」「alligatorを見に行かないか」などなどのお誘いを受けたが、また今度来たときに、といって断った。両替していないし、Sri Lankaで使う予定もなかったからだ。
海岸を歩いていると、様々な場所から漂流してきたゴミがたくさんあった。
1、靴
2、洋服
3、中くらいのプラスチック容器

そして小柄なカラス(日本のからすの1/2位)がたくさんいた。たまに犬がいた。砂は粗く、琥珀色の石が1mm角ほどだったように思う。

表の道路に出て、散歩をし、幼稚園のような施設があったので気になって近くにいたら、腰布を巻いただけのおっちゃんが来た。「中に入れるよ」というので付いていていくことにした。おっちゃんは施設と関係ないらしいが、友人が働いてるという。特に見学は誰の許可が必要というわけではなく、職員にhelloAyubowanHello in シンハラ語)と言うと笑顔で返答してくれた。

ここはPrithipra Infant Homeという障がい児のケア施設だった。支援元がどこだったかはメモし忘れてしまった。生後数ヶ月から10代後半が主に多く、また老年の人たちもいた。施設では日本人を含む外国人が働いているという。宗教[1] に関しては、とてもユニークだった。高さ170cmくらいの四角い、屋根の付いた柱が屋外小スペースにあり、四方にそれぞれ仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教の神様ないし教祖が祭ってあった。オープンかつ無宗教の施設といえるのかもしれない。それぞれの宗教が同一の場所に祭られている光景は不思議な光景だった。(後に、町中の道角に各宗教の神様や教祖がケースに入って祭られていたのを見て、Sri Lanka、少なくともコロンボではこれらの光景は不思議ではないのだと感じた)

基本的に、親はいない。だが、笑いかけると、子供たちは笑顔で返してくれた。屋外には様々なおもちゃがあるプレイルームがあり、施設はそれなりに充実している印象を受けた。
施設を見学し、おっちゃんが「ココナッツジュースを飲まないか」と言われたので、付いていた。とある家(おっちゃんの知人の家)に行き、30代に見えるfishermanのおじさんがココナッツの上部を切ってストローを刺してくれた。本当はココナツジュースがあまり好きではないが、全部飲んで、ココナッツの果肉もちょっと食べた。お腹がたぷたぷ。

するとおっちゃんが貝殻を持って現れた。Fishermanのおじさんが言うに「この人は本当に貧しいんだ。彼は貝殻を売って生計を立てている。買ってくれないか。」という。貝殻は壊れるし、持って変えるのに苦労するため買わなかったが、500円を渡してきた。「コインはexchangeが難しい。だからbillがほしい。」といわれたが、500円は$5と同じ価値があると伝え納得してもらった。1000円を渡すなどチップとしてはあまりにも高額すぎる。500円でもガイド+ココナッツジュースのチップとしては高額。ドルを持っていたら、せいぜい$2だと思う。それでも現地の物価を考えても、高額だと思うが・・・。ただ、宿泊先の施設は日本人がよくトランジットで利用するようなので、500円玉であれば今後他の人からもらえると考え、2枚集まったら1000円札に交換してくれる人も現れるだろうと踏んでのことである。

その後、路地に入る。舗装された道沿いの土にはたくさんの蟹がいた。海と河に挟まれていることから淡水の蟹だと思う。甲羅の大きさは5~7cmくらいに。5分ほど歩くと河があった。道の一部で赤い蟻に襲われた!噛まれると本当に痛い。クロックスの隙間から入ってきたり、クロックスに噛みついたりしていた。噛まれるので足をばたばたさせたりクロックス吹っ飛ばしたりして、周りにいた子供たちに面白がられた。笑

河沿いにはボートがたくさん並んでいて、水中には幾ばくかの魚が見えた。他は特に何を見つけることも出来なかったので、ホテルに戻り、11:30にバスが来るのを待っていた。
すれ違う人たちは、外国人が珍しいのか笑いかけると笑顔で返してくれた。


[1] Sri Lankaの民族と宗教 Resources from CIA Fact Book
Ethnic groups: Sinhalese 73.8%, Sri Lankan Moors 7.2%, Indian Tamil 4.6%, Sri Lankan Tamil 3.9%, other 0.5%, unspecified 10% (2001 census provisional data)
Religions: Buddhist 69.1%, Muslim 7.6%, Hindu 7.1%, Christian 6.2%, unspecified 10% (2001 census provisional data) 

インド旅行記 0


インド旅行記 20101016日―30

My Purpose for this travel
教育 インド 女性 学校 宗教 カースト 人々の暮らし バックパック NGO
知りたい

2週間はそれなりに長いと思った。
でも、終えるとなんて短いと思った。

できるだけ長く、留まっていたいと思うようになった。

2週間に何をしたのか、何を感じたのか、
私の頭の中にある、出来る限りの想い出を
一つ一つ漏れの無いように書き出した。

2010/10/15

尖閣諸島問題について

ゼミ2010年10月15日より。
出てきた意見や調べたことや私の考えなど抜粋。

テーマ:尖閣諸島問題

ディスカッションポイント:
「衝突事故に関して関係諸国の政府が撮った行動の背景とは?」

これまで尖閣諸島周辺、東シナ海における中国漁船、潜水艇の航行を半ば見逃してきた(警告のみ)が、なぜ今回逮捕に至る必要があったのか。

注目点
・領海侵犯ではなく公務執行妨害での船長逮捕
・犯罪人引渡条約未締結国への処分保留人の引き渡し
・日米安全保障条約適応範囲(尖閣諸島の処遇)


・中国の東シナ海における領海拡大に向けた動きの牽制(日→中国、米→中)
-中国排他的経済水域における米軍との衝突
-ベトナムとの領土問題(パラセル)
-日本との領土問題(尖閣)

など

それらは、
・東シナ海の豊富な資源(ガス、油、魚など
・日米関係の混迷(普天間、日米安保)
・中国の日本軽視(政権の脆弱さ)
・ASEAN経済圏における中国の経済的影響力の大きさ

などの影響があるといえるだろう。



では何故関係は軟化したのか、その理由(推測)
・中国は「成熟国家」であるとの国内外に向けたアピール
-「成熟国家同士の問題である。両国間で解決できる」(米国次官補)との発言あり(2010年9月25日サーチナ)
-尖閣諸島に関する歴史的日中共同調査の必要性是非アンケート、是非半々との声を掲載(2010年10月14日サーチナ)

・東シナ海ガス田共同開発における日本の大幅な譲歩
-中国は日本に共同開発ではなく、格下の「出資」に留まるよう要請(2010年5月16日産経)
-日本、出資比率の5割超を中国側に譲る方針決定(2010年5月16日産経)


ちなみに、政府系シンクタンクの中国国際経済交流センターによれば2010年末~2011年にかけて中国の輸出額は大幅に減少するとの見方を示している。


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ご意見ご感想お待ちしております。