先日、相馬にいるおじいちゃんおばあちゃんに誕生日のお祝いを頂いた。
「美味しいもの食べなさい(o^^o)」っておばあちゃんが電話で言ってくれた。
私は、料理を美味しく作りたいからと言って、それで陶器など大事に残していきたいものを買わせてもらった。
今日、ふと、掃除しながら「美味しいも」を考えた。
それは、どんなにお金を出しても買えないものだった。
相馬の山で採れた山菜。
おばあちゃんの作った野菜。
確かに山菜はどこでも買える。
でも、おじいちゃんやおばあちゃんが「孫の為に、息子家族の為に」って採った、私の身体を作ってきたものじゃない。
そんな風に思ったら、苦しくて悲しくて、どうしようもなかった。
改めて、何故原発事故が起きてしまったのか、耐震できなかったのか という悔やみきれない思いが湧いてきた。